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トップ > アトピー > アトピー - 人気ブログ(Blog)検索結果詳細 (2009年1月9日 3時)

家族の絆

家族の絆
                          青木直人

澤谷先生

 あけましておめでとうございます。
 今年もよろしくお願いします。

 昨年4月の京都セミナー以降ご無沙汰しております。
 仕事が忙しく、試験勉強もあり、連絡が遅れましたが、近況報告です。

 家族の絆については、かなり進展がありました。
 昨年11月、娘の3歳の七五三の写真を添付します。私、妻、娘2人と私の母、妻の父母と写っております。2年ぶりに夫婦の両親も揃って、和気あいあいとした写真です。
 この写真、何の変哲もない家族写真ですが、澤谷先生のカウンセリングを受けた時には、皆、いがみ合い、一時は、もうそれぞれが会うことは無いかなとも思っていました。

母はうつ病で4.5回入退院を繰り返していたのに、今は元気で新しい多くの友人との交流で忙しくしております。嫁姑関係も改善し、お互いに多く作ったおかずを届けに行ったりしております。私の妻も私の母の事を考えてくれるようになりました。七五三や娘の発表会の案内があった時に、
「お母さんも呼んだ方がいいんじゃない?」
 と自分から言ってくれました。

 私と妻の喧嘩は3週間に1回位はありますが、どこでもあるような程度かなと思っております。喧嘩の事よりも、お互いに感謝の言葉が増えてきた事を感じます。妻に対する「心の像」が、深い部分で暖かくなってきていると感じます。

 私の母と妻の父母、2年前は、それぞれかなり喧嘩しましたが、娘の七五三の時に、2年ぶりに出会い、笑顔で話しができるようになりました。

 そして私は、周囲の人に感謝する事が多くなりました。
 肝炎の方は、数値が検査の度に、良くなっております。
 今年、B型肝炎を完治した人に出会いました。縁を感じます。そして、私も澤谷先生に言われた通り、完治すると思っております。もう一年位経ったら、いい結果になりそうな、そんな感覚がしております。

 それから、平成20年建築基準適合判定資格者検定(平成20年8月22日施行)試験に合格しました。妻の協力のおかげです。試験勉強中は、家事、子育てとかなり負担してもらいました。

以上のような進展がありました。
ここまで進展があるとは、自分でもびっくりです。
まだ解決していない事は、今年ゆっくりと考えてみたいと思います。

澤谷先生、本当にありがとうございました。
仕事が忙しいですが、今年、折を見てセミナーに参加したいと思います。

それでは、素晴らしい2009年を(^O^) 益々御活躍下さい。

作者:澤谷

更新日:2009年1月9日 1時21分

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信頼

信頼
                          古賀リリ

その出会いは突然でした。
黒板に白いチョークで大きく
「夢」
と書いている男性の姿が目に飛び込んできました。
そして、生徒ひとりひとりに夢を聞いていました。

次に見たシーンは、大きく腕を開いて、相手を真正面から受け止めるような写真。
そこで、私の気持ちがぐっと引き寄せられました。

これが、目の前の実物だったら飛び込んでいたかもしれません。気持ちは確実に飛び込んでましたね(笑)それだけ、とびっきりの笑顔と大きな広い胸。そして、安心感を感じる写真でした。

見ていたのは、NHKの「フルスイング」というドラマでした。

普段はあまりテレビを見ないのですが、テレビのスイッチを点けたらやっていました。

ちょうどアンコール再放送の1回目で、なんと2回目の放送も22時からやるという。
それも見ました。

見るたびに泣きました。心にびんびん響いてきました。
コミュニケーションの基本が、実にわかりやすく映像になっていました。
それは、

「信じること」
「耳を傾けること」
「相手をしっかり見ること」

いろんな人間関係の中での「信頼」が映像になっていました。

フィクションのドラマでしたが、実在の人物がモデルになっていました。
プロ野球界で30年間打撃コーチとして活躍した高畠さんという方が、60歳前にして教員免許を取得し高校教師になった話でした。

ドラマを見て、すごくすごく心に響いたのですが、気になったことが1つだけありました。

こんなに熱心な思いを胸に教師になったのに、どうして教師生活は1年しかないの?
また、プロ野球の世界に戻っちゃったのかな。
いい話ってことで、ドラマになったのかしら・・・
(番組を途中から見たので詳細を見逃してました)

でも、それは私の浅はかな誤解でした。
番組が終わってから、ネットで調べました。
すると、高畠さんは、教師生活1年にして癌で旅立っていました。申し訳ないという思いと、あまりのことに「そんな…」って思いました。

そして、翌日と翌々日の再放送もかぶりつきで見て、ドラマの元になった本『甲子園への遺言』も読みました。

そこには、人と真剣に向き合い、周りの人も巻き込んで、自分が信じる道を歩いている高畠さんがいました。
周りは協力せざるを得ないのです。一緒にいることで、目指す「夢」が伝染するのです。

元気になる。
自分に自信が持てる。
信じてくれる人が、たったひとりいるだけで人はこんなにも強くなれる。
たとえ、その人が亡くなったとしても。
そして、信じてくれる人が自分自身であってでも! です。
自分を信じている人間は、実に強い・・・
再放送はもう終わったのですが、DVDが出てます。

ネットで探せば、動画を探すこともできます。
ドラマは、高校教師生活の中のエピソードを交えたフィクションです。
原作は、主にコーチ時代のプロ野球界の話がメインになっています。
まるで、高畠さんがそばで元気づけてくれるような気持ちになります。

そして、年末。
またまた朝、テレビをつけたら、今度は「ごくせん」の再放送。そこには、生徒を信じる先生「ヤンクミ」の姿が・・・
そっか、これは私へのメッセージだ。

「信頼」

しっかり受け取りました。ありがとう。

作者:澤谷

更新日:2009年1月8日 5時52分

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小さな小さなお手々

小さな小さなお手々
                          山崎賢一

12月24日、長女(小4)の通う小学校の終業式が行われた。

通知表と作文を持って帰ってきた。
通知表の学習のようすでは◎(よくできた)の数も多数あり、よく頑張っているようだ。
何よりも、くらしのようすで、勤労・奉仕、協力・助け合いの欄に○がついていることが親としてうれしかった。

作文について、娘によ〜く聞いてみると、この作品は、学校の学年代表としてコンクールに選出されたらしい。

内容は、昨年の9月15日に第三子(長男)が、自宅で生まれたことやその日からの出来事と思いが綴られていた。

       ********

タイトル;「小さな小さなお手々」

私には弟がいる。
生まれたのは家のおふろ場。先生は来ていなかった。
おふろ場が血だらけで、だれかの鳴き声が聞こえた。

「先生は? もう生まれた? 先生よぶで。」
先生が急いで来てくれた。

「もう生まれた。おふろ場で生んだ。」

先生が来られて、
「○○ちゃんへそのお切る?」
と聞かれたので、私は切らせてもらった。

こりっとした。びっくりした。

でも弟が生まれて本当によかった。
それは弟がほしいと思っていたから。

あれから一年がすぎた。
私は出かける時、必ず毎日のように、
「行ってくるな〜。バイバ〜イ。」
と言ってから習い事や学校に行く。

そしていつも私に、妹と父と母は、
「バイバ〜イ、行ってらっしゃ〜い。」
と、返してくれる。でも弟は・・・わたしの方をじ〜〜〜と見ているだけ。

わたしは、弟にいつかバイバイをしてもらいたかった。

弟は一番はじめ父にバイバイをしていた。
その時のわたしは、いつかバイバイしてくれるよなっ! と思って見ていた。

私は次の日もみんなにバイバイをした。
弟はヨチヨチと歩いてきた。

バイバイしてくれるのかなぁと思うと、部屋にもどってしまった・・・。

その時わたしは、ああ、明日はしてくれるんかなぁと思っていた。

そして次の日は、弟がこけながらも見送りに来てくれた。バイバイをしてくれると思いきや、やっぱりダメだった。

その時、エ〜〜またけ〜〜もう、どうやったらやってくれるんよ〜〜と思った。

それから一週間ほどたったある日、小さな夢がかなった!

学校に行こうと、げん関から出ようとして、
「バイバ〜イ、行って来るな〜。」
と言うと弟が今までに見たことのない走り方でやってきて、小さな小さなお手々を左右や上下にふってくれた!

そのしゅん間わたしはヤッタ〜〜〜〜〜と心の中でさけんでいた。

これからもバイバイをしてほしい。

その日からいつもの十倍も弟にバイバイをするようになった。

       ********

長女から親へ心温まるクリスマスプレゼントを頂戴したようだ。

昨年のクリスマスイヴの、小さな小さなお手々が運んできた、大きな大きな感動であった。

作者:澤谷

更新日:2009年1月7日 5時49分

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これからの社会の中で使命を全うする生き方

これからの社会の中で使命を全うする生き方
                          桑名正典

元旦以降、このブログでは天命や天意といったことについて考えてきました。
そして一昨日は
「自分のできることをし、あとは天に任せる」
ということをお伝えしました。

天命についていろいろ考えてきましたが、日本語とは面白いもので「使命」というものもあります。
私の周囲でも、「自分の使命って何だろう?」と考えたり、見つけ方を質問してこられる人が増えてきたように感じます。

使命と聞くと、何かを成し遂げることと考えがちです。
使命を帯びた人はかっこよく見えますから。
もちろん、使命を追求しつづけていくとそうなのかもしれません。

しかし、何かを成し遂げることがいいこと、そうでないのは大したことないこと、という比較の見方から離れ、すべての人が必要だから存在し、そこにいいも悪いもないという視点で、あらゆる物事を客観的に見ていくと、すべての人の奇跡的なバランスというものが見えてきます。
自然界の法則は、調和の下に成り立っており、自然の一部である人間も、大きな意味での調和をとろうとして作用しています。
つまり、大きなプラスの存在の周囲には、それを補うマイナスのものが必ず存在するものです。
そして、そういった役割の中に使命が潜んでいるのだと感じます。


では、使命とは何なのでしょうか・・・?


“使命”とは、読んで字のごとく“命を使う”と書きます。

命を使ってすることそのものが使命なのでしょう。

つまり、
“私たちが生きているということが、使命を全うしているということ”
を意味しています。

そこにかっこいいとか、そうではないというのは存在しないのです。
だから、どんなに価値のないように見える人であっても、“生きている”ということは、社会全体、さらには地球全体、宇宙全体の中で何かしらの使命を持ち、それを全うしているのです。

しかし、では「生きているだけでいいのか?」というと、それでは進歩がなくつまらないので、やはり「使命とは何か?」を追求し続ける姿勢は大切です。
そして、今もっている使命そのものではなく、自分自身の存在している意味や、使命を追求していく過程こそが、その人を大きく成長させ、本当に世のため人のためになるような、世間から見ると何かを成し遂げているような使命を帯びさせるのでしょう。


最初にお伝えしたように、「使命」というものを考える人が増えているようです。
今の地球の状況、経済の状況を考えると、それはひとつのメッセージに見えてきます。

ここ100年〜200年ほどの人間の活動は、エゴイスティックそのものでした。
欲望が今日の生活レベルの向上を促していますので、それそのものを否定する気は毛頭ありませんが、エゴが増殖している感覚は否めません。

また、かつて権力者だけが行ってきたエゴを満たす行為が、今は一般人にまで蔓延している感じがします。
これまで考えられなかったような凶悪な事件や詐欺事件、汚職事件、金融状況などがまさにそうです。
株式相場では、お得情報が一般人にまで広がりどんどん値を上げている状態になると、その株はまさに暴落寸前になります。
エゴも同様に、一般人にまで広がるとそれは崩壊する兆しなのでしょう。


前述したように、自然界の法則は調和です。
これまで蓄積したエゴに対して、調和をとるサイクルがどうしても必要です。

そのサイクルがこれからやってくるというのが、私の見解です。

過去→現在→未来という時間の流れの概念をなくし、過去、現在、未来のすべてが同時に異空間として存在していると考えると、過去の空間のエゴに対して調和を取るための現在と未来が存在します。
つまり、ひずみを解消するために、逆のひずみが必要なのです。

そして、私たちは、その「“調和を取るための空間”と調和をとって生きていく」必要があります。

具体的には、エゴの蓄積が今の状況を作っているのですから、その逆の生き方をすればいいのです。

 ・個人のことを考えるのではなく、全体のことを考える
 ・人、モノ、自然に対して思いやりの心を持つ
 ・人とのつながりを大切にし、そのつながりの中で生きる
 ・競争ではなく、調和、分かち合いを意識する
 ・人のせいにするのではなく、主体的に生きる
 ・感謝ベースで生きる

こういった生き方が、これからの時代を作る原動力となり、それを全うすることが今後の私たちの使命なのかなと感じています。

エゴが身に染み付いているのでなかなか取り組みにくいところもありますが、少しでも意識して生活していきたいなと思います。

参考になれば。


PS
2月1日の澤谷 鑛 & 桑名正典 ジョイント講演会では、せっかくの澤谷先生とのジョイントですので、人との繋がりの中でどう生きていくべきか、つまりしあわせな人生を実現する智恵をお伝えします。

せっかくの機会なので、参加しやすい値段設定とさせていただきました。
ご検討の上、ご参加ください。

詳細はコチラ
http://www.kou-sawatani.com/jointkouen_kuwana.html


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「澤谷 鑛 & 桑名正典 ジョイント講演会」 in 大阪
 〜混迷の時代にしあわせな人生を実現する智恵〜

【日時】2009年2月1日(日)13:00〜17:00
【場所】新大阪丸ビル新館
 http://www.japan-life.co.jp/jp/conference/map.html
 JR新大阪駅東口からすぐ!!
【講師】澤谷 鑛 ・桑名正典
【定員】70名限定(定員になり次第締め切らせていただきます)
【参加費】一人   6,000円
     二人   11,000円(お一人5,500円)
     三人以上 人数×5,000円(お一人5,000円)
     養成講座生 2,000円
【お申し込み】
 コチラから
 http://www.kou-sawatani.com/jointkouen_kuwana.html
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作者:澤谷

更新日:2009年1月6日 5時54分

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心錬講は心の基盤づくり

 心錬講は心の基盤づくり
                                    大多喜経子

 本日はこの場をお借りして、2009年4月より開催予定の「心錬講(しんれんこう)」のことについて、書かせて頂きたいと思います。

「心錬講」は心を鍛え、上質な人材を育成することを目的とした講座であり、かつ、昨年まで澤谷 鑛オフィス主催で開催しておりました「澤谷 鑛ヒューマンライフセミナー」と「澤谷 鑛ヒューマンライフ研修会」の内容を盛り込んだ講座となります。また、「しあわせな人生の実現をサポートする人材養成講座」で学ばれた方が引き続き学び続ける場所にもなります。

 この「心錬講」は、株式会社マキア(http://www.macchia.jp)が主催、澤谷鑛オフィス後援となります。マキアは大多喜が経営する会社であり、個人と企業の持続的な安定成長を支援したいと思って立ち上げた会社です。

 なぜこの「心錬講」を開こうと思ったのか? その動機は実はそんなに複雑ではなく、いたってシンプルです。

「人は成長するためには、心が鍛えられていないとだめだ」

 と思ったからです。

 人は成長することを死ぬまで続けます。成長するために色々な学びをしますが、うまくいく人とうまくいかない人がいるなぁと思っていました。

 個人的には、ダメな人って世の中にはいないと思っています。単純にその準備ができていないだけなのではないかと思うのです。心を鍛えて、成長するために必要な要素を受け入れやすくする。つまり基盤作りが行われていないだけなのだろうと思います。人はすべて成長し、幸せになることを許されているはずです。でも、その準備ができていないとするならば、そんなにもったいないことはないのでしょうか。

 そして何事にも順番があります。何かをすっとばして、次に行くのは自然の摂理からしてもそれはおかしい。必ず途中で行き詰ります。成長のスピードが急速にアップすることはあったとしても一足飛びということはありえないと思っています。

 成長したいと思うと、どうもめんどくさいと思うその基盤づくり、スポーツでいうと、基礎づくりのところですね。同じフォームをずっとやらされるとか、校庭の端っこでひたすら同じことをするとか、そういうことです。そういうことをやらずに、すぐに成長する道を行こうとするからうまくいかないのだと思うのです。

 何度も言いますが、何事も順番です。ショートカットはできません。成長したいなら、まず基盤づくりをしなくていけません。

「心錬講」はその基盤作りをするところに位置します。体を鍛えるのと同じように心も鍛えて基盤づくりをしていかなくてはいけません。

「心錬講」では、心を動かすこと=錬ることを何度も反復して行います。錬って錬って錬って、錬ることで心を鍛えていきます。鍛えることで、基盤作りをしていきます。基盤とは、モノ・ヒト・コトの受け取り方に柔軟性を持たせることができる心です。成長するためには、様々なことを学び、経験する必要があります。ガチガチな心、弱った心のままではせっかく学びも経験もうまく活かすことができず、もったいないことになります。柔軟性を持たせることで、学びや経験をうまく活かせるようになるのです。

・どうやってうまく活かせるようになるのですか?

 こういう質問が出たなら、ぜひ「心錬講」にお入りください。そういう発想そのものが基盤作りができていない証拠です。

 どうやればいいのか?

 心が鍛え上がっている人は、この部分を一番楽しみにするはずです。そして、自分自身で考えることをしたくなるはずです。人に質問することではありません。プロセスを考えることは実は大変なことではなく、楽しいことなのです。それをぜひ知って体感して頂きたいと思います。

心錬講第1期は、以下のスケジュールで開催します。
<心錬講第1期> (2009年4月-6月)
第1講   2009年 4月25日(土)10:00〜12:00 
第2講   2009年 4月25日(土)13:00〜16:00 
      (ゲスト講師予定)
第3講   2009年 4月26日(日)10:00〜12:00 

第4講   2009年 5月16日(土)10:00〜12:00
       オンライン開講(オープンカウンセリング)

第5講   2009年 5月23日(土)10:00〜12:00
第6講   2009年 5月23日(土)13:00〜16:00
      (ゲスト講師予定)
第7講   2009年 5月24日(日)10:00〜12:00

第8講   2009年 6月13日(土)10:00〜12:00
       オンライン開講(オープンカウンセリング)

第9講   2009年 6月27日(土)10:00〜12:00
第10講  2009年 6月27日(土)13:00〜16:00 
      (ゲスト:医学博士・産婦人科医/池川明先生)
第11講 2009年 6月28日(日)10:00〜12:00

「心錬講」詳細、参加募集は、近日中に公開開始予定です。
お問合せはどしどし受け付けますので、以下までお気軽にどうぞ。

以下、いずれも件名に「心錬講問合せ」とご記入ください。

お問合せメールアドレス:info@macchia.jp

お問合せフォーム:http://www.macchia.jp/contact/index.html

最後までお読み頂き、ありがとうございます。
2009年どうぞ素敵な年になりますよう。

作者:澤谷

更新日:2009年1月5日 6時23分

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人事を尽くして天命を待つ

人事を尽くして天命を待つ
                          桑名正典

昨日の記事は、「天命と天意」というものでした。
いろいろと考えさせられる内容でした。

さて、新年を迎え4日目になりましたが、今年の目標は決められましたでしょうか?
私は1日に決めました。

たてた目標を見てみると、実にエゴ満載ですね(笑)
天命ということを考え出すと、「自分がしたいこと」というのは、自我が大いに繁栄されており、エゴそのものである気がします。
そのようなことを考えていくと、天命に沿って生きることと、自分がしたいことを追求するというのは相反するもので、どちらも追求していくと自己矛盾に入ってしまいます。


自分のやりたいことを追求していくと、そこに天意や天命の介入する余地がなく、ただのエゴのような気がしてきます。
そしてエゴを満たすだけの欲求は、なかなか叶いづらかったり、叶っても人生のバランスを崩しかねません。
私たち人間は、同じ情報を得たとしても、自分が欲している情報や自分に都合のいいものだけを聞いて納得する傾向があります。
「ワクワクすることをしましょう!」という言葉を都合のいいように解釈し、エゴを満たすことだけに集中するのがまさにそうで、それはただ自分のエゴを満たすだけのものです。

一方、天命を追求していくと、逆に自分の意思の介入する余地がなく、自分が存在しないために苦しくなってしまいますし、何でもかんでも天に任せるとバランスを崩してしまいます。
「ありがとう」を毎日何千回と唱え、手でトイレの掃除をするだけで、あとはただうまくいくことを願うというのがそれで、行為そのものはすばらしいのですが、在り方が天に依存してしまっているため、なかなか願望は叶いにくいものとなってしまいます。

これらの例はついつい私たちが陥ってしまうものですね。
もちろん私もすぐにそうなってしまいます(苦笑)


このように、自我と天命とのバランスはとても難しく、澤谷先生が言う“自己表現の「自己」は投入すべきですが、自己主張の「自己」は滅却しなければなりません”ということを心がける必要があります。

しかし、私たちは人間ですから、すぐにエゴイスティックになってしまうのは否めませんので、それを考え出すと天命との自己矛盾に入ってしまい、なかなか動き出せないのも事実です。

 やりたいことを追求するとエゴになる・・・

 天命を追求すると自分がなくなる・・・


では、私たちは何を頼りに行動すればいいのか???

多くのオピニオンリーダーが言われることが、そのときの道しるべになるものを提供してくれています。

 ・人に与える、持っているものを分かち合う
 ・常に感謝を意識する
 ・思いやりを持った行動をする
 ・主体的になる
 ・ワクワクすることをする

ひとつひとつを実践するのではなく、すべてを常に実践することが大切だと感じます。
さらにいうと、自分に都合のいい情報だけをかいつまんで実践するのではなく、すべてを満たすことを意識することです。
ライフワークも経済自由も、時間の自由も、理想のパートナーも、こういったことを実践した結果もたらされるものであるため、設定した目標の中、もしくは目標達成の過程にこれらのものが盛り込まれているのかということが大切です。


“人事を尽くして天命を待つ”

という言葉があります。

Yahoo辞書で検索すると、

「力のあらん限りを尽くして、あとは静かに天命に任せる。」

と載っていますが、私たちがやるべきことはこの言葉が端的に表現しています。


「力のあらん限り」とは、前述した、人に与える、感謝を意識する、思いやり、主体的といった行動です。

そういった行動こそが、天命に生きることに繋がるのでしょう。


究極は自分が今できることしかできないので、それを一所懸命にやるだけですね。


今年一年が素敵な一年になることをお祈りしています。

作者:澤谷

更新日:2009年1月4日 6時22分

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天命と天意

天命と天意
                          澤谷 鑛

 マイミクシィの「ついてるレオ」さんが、昨年末に「天命のお話!」(12/28)と「天意のお話!」(12/29)というのをmixiに書きました。

「天命」と「天意」。興味を抱き調べてみました。

「天命」とは、天の与える命。それは、天の命ずるものであり、それは、天の御言葉。と「ついてるレオ」さんは言います。
辞書には4つの意味が書いてあります。

 ?天の命令。天が人間に与えた使命。「人事を尽くして天命を待つ」
 ?人の力で換えることのできない運命。宿命。
 ?天の定めた寿命。天寿。
 ?天の与える罰。天罰。

「ついてるレオ」さんは、「天命」に従って生きると「いのち」の豊かさが保障され、必要に応じて無限に与えられる、と言います。無限供給が得られる、と言うのです。

「天意」とは、愛。愛は赦しでもあるから、大きな誤りさえなければ天に認められるのだそうです。だが、どうしても赦されない間違いは指摘を受けるらしい。それは「思いやりと愛を欠いたふるまい」なのだそうです。なぜなら、自然の意志(神の意志?)に背くからだ、と「ついてるレオ」さんは言います。
 辞書には2つの意味が出ています。

 ?天の意志。天の心。造物主の意志。自然の道理。
 ?天子の意志。

「私たちは、思いやりと愛の行いを日々実践していくことが大切なのですね(^.^)」
 と「ついてるレオ」さんは結んでいます。

 さて、「天命」も「天意」も、それが私たちにとって、客観的な存在としてある場合と主体的な存在としてある場合、大きく違います。
橋下 徹 大阪府知事があるTV番組に出演し、いわゆる評論家といわれる人と激論した際に、
「そのような客観的評論家としての意見はいらない」
 と主体的に取り組む視座と視点を強調していたのをみたことがあります。それには、大きな示唆があると思われます。

「天命」も「天意」も、どこか私たちから切り離された遠い処にあるとしたら、自らの生き方を投入するわけでもなく、客観的評論家としての意見になりかねません。それだけでなく、仰ぎみたり、依存したりしかねません。
 それは、自らを操作するだけでなく、周りの人々も操作してしまう可能性が大なのです。それも、操作していることも無意識で、自らは自覚がありません。
 自己表現の「自己」は投入すべきですが、自己主張の「自己」は滅却しなければなりません。

 12月14日の日曜日、NHKの大河ドラマ『篤姫』が最終回を迎えました。家内が最終回と教えてくれたので観てみました。若い女優が天璋院(てんしょういん)としての49歳の最期までを演じていました。女優の名は「宮崎あおい」さんで、昨年生まれた子供に一番多い名前が「葵」だったと聞きました。視聴率も28.7%と高かったようです。
 最期の場面の近くで、勝海舟と話すところがありました。
 小松帯刀は病死、西郷隆盛は自刃、大久保利通は暗殺。そんな中での言葉です。

「だれもが生まれたかぎり、必ずやるべきことがこの世にある。そうじゃ、天命じゃ」

 というようなことをいいます。
 かけがえのない存在としてのひとりひとりだからこそ、無駄な人生などないのですね。でも、「天命」を知らなければ、志向が定まらず、無駄と感じるのかもしれません。
 心を澄まして自らの存在と対面したいものですね。

作者:澤谷

更新日:2009年1月3日 5時29分

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本当の自分を自覚する二つの方法

本当の自分を自覚する二つの方法
                          澤谷 鑛

「“業”の流転とほんものを現し出すことの違いが分かりにくいですね」
「ある宗教哲学書にこんなことが書いてありました。聖パウロという人がいましたが、最初、ユダヤ教の立場からキリスト教徒を迫害する側についていたのですね。彼は、復活したイエス・キリストに出会うという体験をして、目が見えなくなったのです。アナニアというキリスト教徒が神のお告げによりパウロのために祈るのです。するとパウロの目から鱗のようなものが落ちて、目が見えるようになったのですね。“目から鱗が落ちた”という言葉の語源は、ここにあるのです」
「本当に? “目から鱗が落ちた”がですか?」
「ええ、そのように言われていますね。それでパウロは、キリスト教徒になるのです。“パウロの回心”といいますね。紀元34年と言われています」
「復活したキリストに出会うということは、キリストの直接の弟子ではないのですね」
「そうですね。12使徒には入っていません。その聖パウロは、“本当の自分”と“自分の中に宿る罪”とを分けるのです。仏教でいう“仏性”と過去の“業の集積である流動や流転”に分けるのですね」
「本当の自分……」
「“本当の自分”が“業の集積である流動や流転”を超越したものという悟りですね。このパウロの“本当の自分”の発見が宗教的な悟りの要諦であると言われています。仏教では“仏性”といい、キリスト教では“内に宿るキリスト”といっていますね。この“本当の自分”を自覚したとき、罪の意識の“業の流動や流転”の世界から超出というのです」
「悟りというと大袈裟ですから、その“本当の自分”を知る方法ですね。それは、どのようにすればいいのですか?」
「“本当の自分”を自覚するということですね。それが“因縁”を超えたり、“業”を超えたりする道なのですが、そのある宗教哲学書によると二つのことが出ていました。そのひとつの答は、“因果の法則”、“原因・結果の法則”とも、“因縁・因果の法則”とも、“因・縁・結・果の法則”とも言いますが、それによってその因果の世界を超えるというのですね」
「どういうことですか?」
「小乗仏教的立場なのですが、人間の霊魂の輪廻転生を説いた時代の釈迦の教えの立場ですね。苦痛によって試練されて次第に向上していくという説き方です」
「もう少し具体的に話してもらえませんか?」
「そうですね。禅のお坊さんに聞いた話をお話しします。それは日本刀を作るようなものだというのです」
「日本刀……」
「まあ、この世界は“牽引の法則”=“類は友を呼ぶ法則”というのがあって、こちらの心と同波動のものが集まってくるのですね」
「ええ。先生の書かれた『すべての「結果」は引き寄せられている〜運命を決める「牽引の法則」〜』(総合法令出版)を読みました」
「日本刀を作るには、鋼のかたまりを熱い火の中に入れて、更に熱度をあげて鉄を柔らかくするのですね。その真っ赤に燃えるような鉄を鋼鉄の台の上で、一定の形になるまでハンマーで叩くのです。それを何度も繰り返すのですね。日本刀の形に細長くなっても、最初は鉄の表面が黒くて凸凹が烈しいのです。それを砥石で研ぐのですが、初めのうちは荒っぽい目のものでゴリゴリとやるのですね。そうすると白く光ったところが出てくるのだそうです。すると今度は、前より少し柔らかい目の砥石で磨く。徐々に刃の表面が磨かれることにより、柔らかくなめらかな砥石で磨かれるようになり、最後には光を帯びてくるようになるのですね。そののちは、奉書の柔らかい紙を更に柔らかく揉んで、打ち粉をつけて柔らかく磨くのだそうです。刃の匂いも芳ばしい、といのはよくわかりませんが、そのような日本刀が完成するのだそうです」
「日本刀が出来るまでに、必要なときに必要なものを引き寄せている、ということですね」
「そうですね。これは、人間の人生での“研ぎ”を日本刀の“研ぎ”に例えたものなのですが、自分の心に合わせて必要な砥石が引き寄せられるということですね。それで人間力や人格や心が磨かれるということになるのです。禅のお坊さんは魂が磨かれると言っていましたが……。それが苦痛によって試練されて次第に向上していく説き方ですね」
「よくわかりました。もうひとつは、どんな方法ですか?」
「人間本来の相である苦しみや悩みのない大乗仏教的立場なのですが、因果にいて因果に墜ちず、永遠に変わらない人間本来の相を説く涅槃経時代の釈迦の教えの立場ですね」
「これまた、むっつかしいですね」
「光と闇について考えるとわかりやすいですね。何万年の闇の洞窟もローソク一本の火で闇を消します。光は闇を許さないのですね。光は最も有効に闇を消します。闇が積極的にあるわけではなく、光がない状態を闇というのですね」
「う〜む」
「闇のまま幸運を呼び寄せたりはしないということですね。闇のまま幸運を呼び寄せたのでは、闇をそのまま許すことになります。闇を許すことは闇を存続することになります。小乗仏教的な克服の道は、闇の自ら壊れていく過程なのですね。それには必然的に苦しみが生じます。大乗仏教的には、闇そのものが光に照らされて一瞬にして消え、闇の自ら壊れていく必要がなくなったから、と考えたらいいですね」
「どちらの道もむっつかしいですね」
「ところがもっと困難に思えるのは、この二つが因縁を超える道だというのですが、片方だけでなく両方揃って完全な説となるというのです」
「どういうことですか?」
「不幸や苦しみ、そして悪はない、といえば不昧(ふまい)因果といって因果を昧(くら)ますことになるのですね。不幸や苦しみ、そして悪はある、といえばほんものを昧ますことになるのです。因果昧まさず、不幸・苦しみ・悪本来なしが本当だというのです」
「禅問答のようになってきましたね」

作者:澤谷

更新日:2009年1月2日 5時30分

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謹賀新年

謹賀新年

あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

                  2009年 元旦
                      澤谷 鑛


       桑名正典

       澤風 凜(北海道)
       はっとりさちこ(埼玉)
       Emiko・後藤喜久・増田 督・大多喜経子・
       北莉ひろ美・三條能理子(東京)
       吉野成人・紅林千賀子(神奈川)
       木綿子(長野)
       おきたにひろみ(石川)
       悦月(京都)
       重村幸志・マイケル司・上田泰義・山田一美(大阪)
       山崎賢一・三浦清香・神田翔臣・高木光世・乕澤美香(兵庫)
       安井敬昌(福岡)

作者:澤谷

更新日:2009年1月1日 0時5分

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業の流動と流転

業の流動と流転
                          澤谷 鑛

「“業”って、その言葉を聞いただけで恐い感じがしますよね」
「“業”とは恐いものとか悪いもののように感じますが、良い言葉の波動の蓄積である“善業”と悪い言葉の波動の蓄積である“悪業”の二つがあると仏教ではいいます。心理学でいう潜在意識に蓄積されるわけですが、心の中にあるものは必ず現実の自分の人生に影響を与えるのは、鏡の法則でも明らかです。口業・意業・身業のそれぞれが“善業”か“悪業”のどちらかとして五蘊の中に蓄積せられ、次の“業”の循環に契機をつくるように待機している、と仏教ではいいますね」
「良い業にしろ、悪い業にしろ、電池に蓄電するように溜まったらどうなるのですか?」
「“業”は動力=エネルギーですからね。相手を許せないと思ったら、それを形に現して、殴りでもすれば少しはエネルギーが消えるのですが、人間関係はなかなかそのようにはいかないですよね。その意味では、心のデトックスの方法を知っていれば解消できます。そうでなければ溜まりますね」
「はい」
「現在意識では、どうすることも出来ずに諦めたりするのですが、潜在意識は無意識ですから自覚せずに蓄積されていく、ということになります。それがある機会にスイッチが入ったように“業”が流動するということになり、蓄電池が電流として動き出すということになります」
「一度あったことは二度あり、二度あったことは三度ある、という諺がありますね」
「それは、人間の行動の大部分が自分の現在の自由意志の力によって行動しているのではなく、自己の発意でやっているつもりでも、過去に蓄積された“業”の力によって強制的に翻って転ぜられている、という仏教でいう説を現していますね」
「強制的だと自由がないですね」
「そうですね。人間が“業”の力によって自らの意志をひっくり返らせられている限り、その人間には自由はないのですね。“業”の力がわれわれの生活を引きずって行くのを止めることは、非常な決意と努力によって奮闘しなければならないと言います。しかし、大抵“業”の力が現在の意識的努力よりも優っていて、その努力の甲斐なく敗れることが多いと言います。しかし、そのことそのものも“業”の流動及び“業”の流転がデトックスでもあり、しあわせな人生の実現に向かっているとも言えます。人生そのものにデトックスの側面があるということですね」
「ということは、自由がないわけではない」
「自由もしあわせな人生のうちですが、もっと本質的には、どんな小さな行為でも、思いでも、言葉でも、それを為すことは“業”であり、因縁因果の世界に業因を積み重ねつつあることになります。先ほど説明したように“業”には善業も悪業もありますが、どんな小さな善業でも怠らずに積み重ねていけば、悟りの世界に入り、ついには因縁を超越することができるというのが仏教なのですね。これは心理学からも一致します」
「善業をとるか、悪業をとるか……」
「そうですね。それこそ、それは自由ですね。だから自由がないわけではない」
「仏教って面白くて深いのですね」
「“業”の流動や“業”の流転でデトックスをしながら、過去を越えてほんものを現し出していくのが人生でもあるのですね」

作者:澤谷

更新日:2008年12月31日 0時39分

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「もらう」から「与える」姿勢へ

「もらう」から「与える」姿勢へ
                          澤谷 鑛

 12月26日(金)の『産経新聞』の2面に作家の曽野綾子さんが「小さな親切大きなお世話」というコーナーに『「もらう」から「与える」へ』と題して書いていました。
 曽野さんは、幼稚園から大学までミッション教育を受けたカトリックですが、このようなことを書いています。

 日本の地方都市で、夫婦とも重度の身体の障害を持つ何組かの人たちと暮らしている外国人の神父から、まだおむつをしたままの赤ちゃんが両親の面倒をみている、という信じられないような話を聞いた、というのです。

 神父は、こう言ったといいます。
「そのお父さんは、歩けないからお手伝いにたてない。『溲瓶(しびん)』と言うと、まだおむつをつけたままの赤ちゃんが、お父さんのところに溲瓶を持って行く。お父さんがそれにおしっこをすると、赤ちゃんはその中身をちゃんとトイレに捨てに行くんですよ」

 この子自身もおむつを汚すと、きれいなのを自分で持って、歩けないお母さんのところに行き、ころんところがっておむつを換えてもらう。そして汚いおむつを自分で捨てに行く、というのです。「赤ちゃん」と神父はいいますが、歩けるようにはなっている歳のようです。

 曽野さんは、加えてこのように言います。
「ペルーでも昔、たった一人の母親が結核で息を引き取るまで傍らで面倒をみていた5歳と2歳くらいの姉弟に会ったことがある」と。

 ここで曽野さんが言いたかったことは、今の日本は、不満だらけで、国家や会社や親からもらうことばかり当てにしているが、それほど豊かには与えられない状況があります。しかし、それは、国家や社会が無能なのではなく、誰も自分を助けてくれないと思うと、すべて自分で何とかしなければならないはずです。赤ちゃんまでもが親のために働けるのです。日本人の精神の方向性を「もらう」から「与える」姿勢に転換すれば、この閉塞的な空気の重苦しさを解決する場面は多い、と言います。

 これに呼応する記事を12月28日(日)の『産経新聞』「産経抄」でみつけました。
 樋口一葉の日記や手紙から日常生活を蘇らせている、森まゆみさんの『一葉の四季』の中から紹介しているのですが、

【例えば、明治25年の暮れには金に窮している。餅をつかせ、醤油や酒を注文したものの、支払いのメドなどない。年を越せるかどうかの瀬戸際だった ▼ところが27日になって「稿料を支払う」との郵便が舞い込み、翌日、踊るように11円40銭を受け取る。当時としては大して多い稿料ではなかったというが、餅代も醤油代もセーフだった。しかし年越しの金を得た一葉が行ったのは支払いだけではない ▼母がかつて乳母として仕えた旗本の家の姫で、今は零落した女性に金を届ける。恩義があるとはいえ、一葉も前年には師の半井桃水から金の援助を受けた身だ。困っているときはお互いさま。森さんは「金は天下の回りもの。明治の庶民は案外のんきだった」と書いている(中略)▼だが「お互いさま」の精神は必ずしも廃れてはいないようだ。(中略)大企業のリストラや政府の無策に怒りの矛先を向けるのもいいが、その前に周りの誰かを助けられないか考えてみたい。】

 とあります。
 曽野綾子さんは、先に紹介した文章の最後を、このように書いています。

【この食うや食わずの状況で人を助けられますか、と言う人はあるだろうけれど、それは間違いだ。いささかでも与える生活はどんな貧しい境遇でもできる。与える行為は国家社会に利用されることだ、という思想を払拭できれば、思いがけない道も開くのである。】

作者:澤谷

更新日:2008年12月30日 3時16分

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心あたたまるお話

心あたたまるお話
                           Emiko

先日、知り合いのけいすけさんからメッセージが届けられました。

家族旅行で群馬に行ってらっしゃったそうですが、そこでお泊まりになったお宿のお食事は、無農薬野菜を中心にしたもので、また、超アルカリ硬水のお風呂は、アトピーの治療に効果があるということをお知らせくださいました。

宿のURLや、そのお宿の模様を書かれた奥様のブログも教えてくださったり・・・。ありがたい思いでメッセージを読ませていただいたのですが、けいすけさんの次の言葉で遂に胸が熱くなり、涙がこぼれました。

「泊まっている晩にふとEmikoさんの息子さんのことが頭を過ぎりました。神様からのメッセージかなと思い、メッセージを送らせていただきます。」

息子にもけいすけさんのメッセージを伝えると、
「会った事もない自分の事を思いだしてくれたことが嬉しいね。それに、ふと、思い出したとしても行動に移す前に忘れてしまいがちだけど、ちゃんと連絡してくれるなんて・・・本当に感謝だね」
想いのエネルギーも、時間のエネルギーも、喜んで人のために使える人って本当に素敵ですね〜☆

そして、本日のちょっといいお話。

息子は少し前から都内のある幼稚園に実習に行っています。
息子の担当の年長さんのクラスにRちゃんという男の子がいます。少し前に、Rちゃんのお母さんとおばあちゃんが続けて亡くなったそうです。それ以来、Rちゃんは態度に落ち着きが無くなり、言葉も乱暴になってきたそうです。先生や周囲の子どもたちにも心を開かなくなり、息子も一緒にお弁当を食べようとしたり、何とか接近して話しかけようとしても「一人で食べるから、あっちへ行け!」「こっちに来るな!」とか怒鳴られていたそうです。

息子は一日一ミリでもいいから、Rちゃんの心が開いてくれたらと諦めずに話しかけていたところ、Rちゃんの表情が少しずつ柔らかくなってきて、遂に、昨日、お帰りの時間に「K先生、明日も来る?」と息子の顔を覗きこんだそうです。
その言葉を聞いた瞬間、息子は涙が出るほど嬉しくてRちゃんに答えました。
「もちろん! 明日も来るよ!」

その夜、息子は園長に提出する日誌に「今日一番嬉しかったこと」としてRちゃんのことを書きました。
そして次の日、息子の日誌を読んだ園長先生のコメントにはこう記されていました。
「K君、Rちゃんの言葉を聞いて、心から嬉しいと感じてくれた君のその気持ちを知って、先生はもっと嬉しくなりました。ありがとう!」

食器洗いをしながら、私はこぼれる涙を抑えることができませんでした。
何て素敵な園長先生なのでしょう☆

作者:澤谷

更新日:2008年12月29日 5時25分

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ゆるす

ゆるす
                            もく

私は、さだまさしさんの唄が好きだ。
さだまさしさんの曲を聴いていると、映画を見ているように頭の中で情景が展開してゆく。

さだまさしさんの曲の中で大好きな唄のひとつに『償い』という曲がある。
数年前に少年犯罪の裁判の場で、反省の色が見えない被告の少年に対して、裁判長がその歌詞を読み上げて反省を促したことで話題になった唄だ。

今日、久しぶりにCDで聴いてみて、やっぱり良い曲だと思った。
聴いた後、なにげなくGoogleで『さだまさし 償い』と入力して検索してみた。
するとWikipediaの記事の中にこんな記述があった。

+++++++++++++++++++++++++++++
                            
 さだまさしは著書『さだまさし 夢のかたみに』にて、  
 この楽曲に次のような引用をしている。         
                            
  ゆるすというのはことはむずかしいが、        
  もしゆるすとなったら限度はない−ここまではゆるすが、
  ここから先はゆるせないということがあれば、     
  それは初めからゆるしていないのだ          
                            
       山本周五郎『ちくしょう谷』より      
                            
+++++++++++++++++++++++++++++

これまで『償い』という曲を聴いて、『償う』ことの難しさを感じていた。
しかし、この曲の裏には『償う』ことの難しさと同じように、『ゆるす』ことの難しさが歌い込まれている事を知った。

償う側は相手が許してくれた時点でゴールだと思うことが出来る。しかし、ゆるす側は、どこまで償わせればゆるしていいのか、誰も教えてはくれない。様々な葛藤があり、ゆるしたくてもゆるす決断ができない人は多いのではないだろうか。ゆるすことができればもっと心が楽になれることを知りつつ、ゆるすことができずに苦しんでいる人が多いような気がする。

結局、ゆるすということは、自分がゆるすことをゆるすということではないか、と思えてならない。

作者:澤谷

更新日:2008年12月28日 6時12分

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責めなくてよかった

責めなくてよかった
                        さくらみるく

福岡市男児殺害事件の続報を見つけた。
犯人の母親の夫は、
「妻が追いつめられていたことに、なぜ気づいてやれなかったのか。妻に謝りたい」
と語っていた。

母親は数年前から体調を崩し、全身に痛みが走る「線維筋痛症」と診断されていた。シャワーを浴びるだけでも痛みがある。包丁を握るのもままならず、タオルで包丁を手に固定して台所に立つ日々だったという。

陸に上がった人魚姫は、一歩を踏む度に痛みに耐えねばならなかったが、この母親の痛みは、全身に及んでいたのだ。

殺害された男の子は、数年前から発達障害が見つかっていた。発達障害がどのようなものか、わたしには知識がないが、犯人の母親が自分の母親に泣いて訴えている。彼女は、介助していた息子に身体中アザだらけにされていたらしいのだ。シャワーの刺激にすら耐えられない病には、全身にアザの残るほどの打撃は、どれ程の負担であっただろうか。

息子の父親は仕事が忙しく、母子と向き合う余裕が無かったという。
障害があるとは知らず、扱いかねた息子に体罰を加えてしまったことがあるという。
息子に障害があるとわかってからは、二度と手をあげたりはしないと誓うが、父親が仕事に追われ続ける中、母の負担は重さを増していく。

だんだんひどくなる自分の病気を悲観して、母親は自殺未遂も起こしている。

そして、事件は起きてしまった。

父親は、妻の体がアザだらけになっていたことも知らなかったという。

母親は逮捕後も、自分の首のコルセットの紐を絞めて、自殺を図ろうとしたそうだ。

父親は言う。
「妻を追い込んだ自分も加害者だ。接見できたら謝りたい。何年かは1人で事件のことを考えてほしい。自分も反省しながら待っているから」

事件後、母親の非道な行為は、マスコミやテレビで非難の的となった。子どものことを思えば、確かにひどい、許しがたい事件だ。

でも、非難できるのか?
(いささか重い話題になります。読む気分じゃない、と思われる方は、ここで閉じてくださいませ)

「わたしは、そんなことしないから、責める資格も非難する資格もある」

そう考える人よ。本当に、そうか?
あなたは、シャワーにすら耐えられない痛みを知っているのか?
あなたは、子どもを障害に犯されたことがあるのか?
あなたは、全身アザだらけになるほど子どもに殴られたことがあるのか?
あなたは、このような夫の無理解と孤独を知っているのか?

知っている。わかっている。だから、責める資格も非難する資格もあると、あなたは言うのか?
苦しみ悲しみに耐えて、それでも見事に愛情深く子どもを育て上げられる強くて愛情深い人もおられる。そうした方は 本当に素晴らしい方だ。心から尊敬する。わたしもそのようになりたい。心から、そう思う。

でも、それでもなお、あなたが苦しみ悲しみの中でも立派に生き、間違いを犯さなくてもなお、それでもあなたには、彼女に石を投げる資格はない。

あなたに、 間違いを犯さないだけの強さがあった。どんな苦しみ悲しみにも耐えて貫ける愛情を持っていた。だから、あなたは間違いを犯さずにやってこられたのです。

皮肉ではなく心から尊敬に値する、素晴らしいあなたよ。それは、素晴らしいことではありませんか。あなたは、自分が鬼にならずに済んできた状況と自分が鬼になることを止められる力を持っていたことに感謝するべきではないでしょうか。それは、素晴らしいことではありませんか。

どうして、あなたは、その素晴らしい賜物を、恵みを、他人を責め、非難する道具にするのですか? どうして、凶器に使うのですか?

一時期、母親が冷静に息子を殺したかのような報道が流れ、母親をなんとか弁護できないかと考えていたわたしは、一瞬揺らいだ。世の中には、笑って殺人を犯せる人間がいるものだ。この母親も、そうだったのだろうか、と、一瞬疑った。

でも、今日この記事を見て思った。心から思った。本当のことは、なかなか見えない。当事者ですら見えない。まして、第三者が、まして、ごくごく部分的な報道でしか事情を知り得ないわたしたちが、自分の狭い了見で、非難の言葉を投げ交わすことこそが間違っている。

それは、醜い。

今回は、わたしも危うかった。でも、ぎりぎりのところで踏みとどまって、少なくとも沈黙を守れた。守れてよかった。浅はかな知恵で、責める言葉を吐かなくて本当によかったと思った。

言葉は、人を生かしも殺しもする。
(相手の耳に入る、入らないは、実はあんまり関係ないのだ、とわたしは思うのだ)
ならば、どうせならば、人を生かすために言葉を使おう。本当に難しいことなのだけど、周囲に流されず、いつも心をしゃんと持って。

そして、そして、自分は、その人を助けるために、指一本すら動かさずに、口だけ動かす、ということの無いように……。そのように自戒し心がけて 生きていきたいと思う。

逮捕された妻を捨てなかったご主人に乾杯したい。
いつか、いつか、また、ふたり寄り添い、新しく出直せる日がお二人に訪れることを祈りつつ……。

作者:澤谷

更新日:2008年12月27日 6時21分

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離婚問題から父への感謝(後編)

離婚問題から父への感謝(後編)
吉野成人

Mさんは、ハッとした。
「私の父と母の関係ですね」

「気づいたようですね。そのとおりです。あなたのご両親は書類上離婚していたけれど、事実上は夫婦という関係だったわけです。それと同じ状態をあなたは今体験しているわけです」

「たしかにそのとおりだと思います。父と母はあくまでも書類上離婚という手続きをとったまでで、事実上は夫婦に変わりありません。・・・でも、なぜそのことと今回の私の問題が関係あるのですか?」
「あなたは、今までお父さんの気持ちを考えたことはありますか?」
ひざに置いていたバッグを持ち直してみどりさんは、こう答えます。
「いえ、とくには・・・。でも、連絡を途絶えがちにして、生活費を送ることもしなかったわけですから、父の自業自得だと思っています」

相当、根深い想いをお父さんに持っているようだ。このように私は感じました。
「そうですね。しかし、お父さんは離婚させられた時どのように感じたでしょうか? とても、切なく、やるせなく、寂しい想いをしたのではないでしょうか。自分だけが家族から取り残されたような疎外感を持ったかもしれません」
Mさんは、目を閉じてじっと聞いている。そのころの想いを噛みしめているようだ。
「一人の女性を伴侶として選び子供も立派に社会へ飛び立つことが出来た。死ぬまで、奥さんと夫婦として一緒に人生を送りたかったのではないでしょうか。書類上だけのことかもしれないけど、離婚に至ってしまってどれだけ切なくて、やるせなかったことでしょう」
Mさんは大粒の涙を流しながら話してくれました。
「たしかにそのとおりだと思います。一度父から『Mに離婚させられた』と責められたことがありました。私は、今まで父の自業自得であり、離婚させて当たり前だと思っていました。しかし、父は悔しかったのだと思います。せつなく、やるせない気持ちだったのだと思います。私は父をずっと許せませんでした。母に苦労ばかりさせて、ほったらかしにして、と父の悪い面ばかりを責めていたのだと思います」
「お父さんへの感謝の気持ちが生まれて良かったですね」

ホッとした私は、続けてお話しさせていただきました。
「あなたのお父さんへの感謝の気持ちに気づいてもらうために、今回のご主人のことが起きたのだと思います。お父さんの気持ちにあなたが気づき、あなたが心の底から、お父さんに感謝が出来るようになった時、その時にご主人の浮気の問題も解決するはずです。ぜひデトックスに取り組んでみてください」
ハンカチで涙をぬぐいながらMさんは、
「わかりました。私の心、気持ち次第とおっしゃっていたのは、こういうことだったのですね。デトックスに取り組んでみます。先生ありがとうございました」
そう言って、席をあとにしました。
来たときよりも希望に満ちたうしろ姿を見ながら、私も目に涙を浮かべていました。

カウンセリングしてから3日後、Mさんからメールが届きました。

*********************

吉野先生、先日はありがとうございました。
実は昨日、主人が自ら、「別れた」と言ってきました。
今までは、私が問い詰めても「いつか別れる」という曖昧な答えしかしなかった主人が、自分から「別れた」と言ってきたのです。
今までも嘘をつかれ、裏切られてきましたので、100%その言葉を信用していいかどうかはわかりません。
しかし、今まで自分からこの話題に触れることすらなかった主人が言ってきたので、おそらく本当だと思います。

不思議でなりません。これが、心の問題なのですね。
(中略)
実は、まだ私はデトックスしていません。
先生にお会いした日に父の気持ちがわかり、本当に父への感謝の気持ちが生まれたのは事実です。
でも、デトックスはした方が良いのですよね?

父には、謝罪と感謝の気持ちを伝えるつもりです。今なら本当に、心から「ありがとう」と言えると思います。

主人とのことは、まだいろいろなことがあるかもしれませんが、きっと良い方向に向かっていく気がします。

吉野先生、本当にありがとうございました。

***********************

私は早速返信しました。

***********************

Mさん、良かったですね。
そうですね。心が原因で現実が結果だというのは、こういうことなのです。

Mさんが、お父さんへの感謝を心の底から感じた。だから、問題が解決したのです。お父さんへの感謝の気持ちに気づかせるために、今回のことが起きたのでしょう。

デトックスは無理してしなくてもいいと思いますよ。
先日お会いした時にすでにデトックス出来ていたのだと思います。Mさんのあの涙が証拠ですよ。感謝の気持ちが充分に現れていたのだと思います。

本当に良かったですね。豊かで幸せな人生を満喫してください。

***********************
《完》

作者:澤谷

更新日:2008年12月26日 5時42分

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家族の絆

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信頼

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小さな小さなお手々

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これからの社会の中で使命を全うする生き方

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心錬講は心の基盤づくり

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人事を尽くして天命を待つ

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天命と天意

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本当の自分を自覚する二つの方法

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謹賀新年

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離婚問題から父への感謝(後編)

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