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ホテルフリーダム豊橋(2008年夏18きっぷの旅)
半年、6か月、180日…その時間の流れの量を答えられる人はいない。
と、思う。
抽象的な概念を正確に、正確ではないにしろ、測定する度量衡はない。
と、思う。
となると、哀しみや喜び、苦しさや楽しさ、痛みや快さがどれほどのものなのか、を誰が知る。あるいはその傷口は、その度量衡に乗せられ計られる、と同時に治癒する、か、さらに悪化する、腐敗する、朽ち果てる、消える。そういった循環の中にあっては、死という完全かつ永遠なものだけが、計りうる唯一の度量衡なのかもしれない。
と、思う。
そしてその永遠なんてものも、わずか御影石の30センチ角の墓石の下で身動きも取れないでいる。
あるいは秒速30センチほど、わずか5ccの精液の量、それが快楽の総体だとしたら、なんとあっけないものか。そしてその快楽もティッシュにくるまれては、汚物入れの中で身動きも取れないで、窒息する。
○月○日豊橋市
もう日付も変わる頃到着。
数基の墓石はいつものように、そして正確に一寸違わずそこにある。東西南北と線路に直角にそして並行に、全てのものが流れるように、例えば風や、例えば日光や、そうして人の流れも、人工的に決定されている。線路をx軸にした、そして通路をy軸にした秩序を造りだしている。
その答えが幸福という、あるいはその完全かつ永遠なものへの、あるいは汚物入れの窒息した精液、というものを導き出す計算式のような構造様式、それはもう今となっては、バロック建築ほどの荘厳さをもって、人々を圧倒する。
通路にはすでに死人の体(てい)で、そういった幸福という秩序に背を向けて、眠る人々がひとりふたり、そしてさんにん。その寝息が聞こえてきそうなほどの豊橋駅24時過ぎ。どういうわけか、通路は3段の高さを2つの階段で造り出している。登るのか下るのか、ボクは考えていた。
そういうボクも実は死人の体で、もう野宿の旅にも疲れていたし倦んでいた。
野宿に疲れる、というか、その長距離の移動に疲れていたというほうが正確で、タイムラグのようなもの(実際はないのだけれど)が身体の神経細胞を破壊していくような感じがしていた。そうなると感覚は少しだけ異常になる。その破壊されたものを回復するために、蘇生するために白血球数が増加する音まで聞こえてくる。それとて異常さの一現象なのだけれど。
ボクは、その墓石の上に腰を下ろす。大垣発のムーンライトながら号が到着する頃、少しだけ人が移動する。移動と言っても、やはりその建築様式という秩序に決定された順路を、流れるだけのことなのだけれど、それはまるで通路を流れる風のようでもあり、そのあとは、また、全きの墓場の夜が出現するのだけれど…。
その流れを見ていた。まるで葬送行列を見るように…。
ボクは、その墓石の上の、さらに重石となっては、そこが唯一の座布団のある場所のように、感じていたのだ。その座布団を探すことが、ボクの駅での作業となっていることに気がつくと、果たして人は、生きるということは、なんと規則正しい計算式によって導き出される様式なのかと、愕然とする。
野良猫ほどの自由さもない、というのが、実は、自由な旅をしていると思っている、ボクということなのだ。
……。

作者:田原笠山
更新日:2008年9月6日 20時1分
期間工の質(大麻栽培事件で考えたこと)
どうも今回の大麻栽培事件に関しても「想像力の欠如」が背景にあるように感じる。というのも「ベランダで栽培」という点において、普通はベランダに置けば「バレる」と思うのだろうけれど、そういったことも想像できない、あるいはまさかとは思うけれど「誰も分かるヤツはいない」なんて考えるところが、あまりにも幼稚すぎるのではないかと思っているのだけれど。押入れで栽培、というのはまだマシな想像力の持主であるようにも、思っている。
でも、しかし、そんなことよりも、やはり「期間工の死」によるものだろうと考えている。
一昔、あるいは二昔、あるいはもっと昔においても、大麻については、合法化とか解禁なんて言葉とセットで語られる場合が多かった。「マリファナNOW」なんて本や、その他栽培本まで発行されていて、どちらかとうと危険性のないドラッグのように語られる場合も多かったし、今も多いのだろう。
しかし、そういう人たちは、ちょっと離れた場所、間違ってもトヨタの寮に住んでライン作業に従事して、なんて人たちではなくて、もう少し違った感じの、ヒッピーとか、ま、ニューエイジなんて人々が、労働という生産システムの枠外という立ち位置にいて、そして芸術とかの創造システムの枠内での精神的営みとしての、解禁、という声だったように思うのだけれど。もうすこしアンダーグラウンドでの、それはほとんどの場合精神世界の基底ということなんだけれど、そんな場所でのことだったと思う。
それが、1990年あたり、上野公園あたりでイラン人が販売を始める頃(この場合はハッシッシとかのほうが多かったようだけれど)から(そして偽テレホンカードも一緒に売っていたのだけれど)一般化あるいは大衆化が進んで行って、ドラッグのファッフョン化に繋がっていったように、ボクは感じている。一般化は、今では各界という神聖な場所にまで及んでいて、もう明るい場所、オーバーグラウンド、表面的な、あるいは、欲望的なところでの行為にシフトしたということだと思っている。
そういったドラッグの一般化も今回の事件のひとつの要因でもあるのだけれど、期間従業員の質の変化がやはり大きいと思う。想像力の欠如を含めた幼稚さ、ドラッグも一般化したのだけれど、期間工の一般化あるいは大衆化したということなのだ。
季節工、あるいは出稼ぎ労働者としての期間工の時代、今はその出稼ぎ労働者も雇用法の改正で国が「なくす」方向にあるのだけれど、その時代には、一家の大黒柱、あるいは、地方の一次産業従事者、という人が多かった。労働自体が、まだ潔癖性を残してた時代、夜行列車でお土産を抱えて、帰省する、上野駅界隈も、まだそういった汚染されていない神聖な場所だった頃…。
現在は(なによりも国が否定してしまうのだから)アルバイトぐらいの感覚の人たちが多くなって、あるいは寮付きの割りのいい仕事、ぐらいの感覚の人が多くなっては、お金に対する対峙の仕方、要するに、なめこそばさんが書いているように「そんなにお金持ちならば、期間従業員なんかやってないのでは?」という人たちの増加というのが、昨今の不祥事の増加ということに関わっていると感じている。実家にいる父や母、子どもたちのことを考えては忍び泣く、その音が聞こえてくる、ということも皆無になってきたのだろう。
期間工の一般化、あるいは大衆化。「期間工の死」(前に書いたのですが)が「期間工の一般化」に繋がるのだけれど、そういった時期(「期間工の死」をもたらした2年11か月問題や雇用保険法改正という期間工、出稼ぎ労働者の不遇時代の到来)での事件は、起こるようにして起こった事件だと、ボクは感じているのですが…。
ひと昔に比べ、期間従業員の質もだいぶ下がったような気がしますね。
最近、目に付くんだよな期間工の不祥事が…
いいかげんにしてほしい。
所詮期間工ですからね。
単純作業しつつラリッテいたのでしょうか?
人間として終わってます。
ま、「所詮期間工」ですからね...。
期間工、「所謂」と補説される人たちは、やはり1990年あたりからその質が変わってきたのだろうと感じています。ちょうどマリファナが一般化する時代、ま、強引に結合させるのならばバブルの頃に、日本の労働環境や労働市場が著しく変遷していった時期に。例の氷河期なんてのも訪れたりもして。
それまでは、例えば杜氏のような人たちであった自動車工場での期間工、それはほとんどの場合、地方の出稼ぎ労働者という、貧しさを知っている集団だったのでしょうが、今はもうほとんどそういう意味での期間工という人たちはいなくなって、職業としての期間工の時代が到来したということです。
期間工という人たちの質は、昔は非常に高くて、そして何よりもこの国の生産現場を支えてきたと思うのです。酒造りを杜氏が支えてきたように。今は、もうかなり違ってきて、「所謂」期間工という人たちは、何かのために働く(それは家族のためということが多かったのですが)という関わり合いの中での労働ではなくて、自己の欲求のためだけに働くという、労働の潔癖性の欠如という時代になってきたのだろうと思います。
そういう時代になってしまっては、自己欲求のためだけの労働という、ある意味諦観した、それはまるでライン作業のような死生観ともいうような労働の質に変わったのだろうと思っています。
そして今後は、起こるべく起こる事件なんてことではない、も少しボクたちの想像できないような、驚くような事件がこれからも起こるかもしれないということなのかもしれないと、これも強引に直結させれば、秋葉原事件を対岸に置いて考えているのです。
そしてそれをイマジネーションと叫んだりするのだろうと、思ってもいます。
それと、もうひとつ、寮事務所の管理責任というか、管理能力がなさ、ということも問題のひとつ、だと思うのだけれど。
トヨタ期間従業員に行こう | トヨタすまいるライフの笑えない話

ま、そんな時代になったってことなんだけれどね。
怖いものなし、ってのは、捨てるものがない、ってことなのだから、家族も仕事も財産もない人ってのは、何をするか分からないってことなんだけれどね。そういうボクもその怖いものなしなんだけれど。だから野宿しても怖くともなんともないし、車から轢かれそうになると、こっちから車に寄って行ったりね。轢かれなかったことを残念に思うようになっては、そろそろこっちから当たってやろうかと思うぐらいでね。
なんて…。
作者:田原笠山
更新日:2008年9月5日 19時35分
寮で大麻栽培
トヨタ社員寮で大麻栽培容疑 契約社員「吸うために」
トヨタの期間従業員が寮で大麻栽培
愛知県警田原署は4日、自宅で大麻を栽培したとして、大麻取締法違反の現行犯で、同県田原市吉胡町木綿畑、トヨタ自動車期間従業員矢野晃男容疑者(28)を逮捕した。
ベランダで栽培してたのかあ。吉胡寮は日当たりも良いしね。道路側の部屋ならば分かりにくいのだけれど(3棟、6棟かな)他の1、2、4、5棟だと他の棟の廊下から見えるだろうし。隣のベランダからは丸見えだし。分からないぐらい思っていたんだろうか?
大麻草は特徴があるし、それをデザインした洋服なんてのもあるから、芥子を栽培していても「花が好きなんですね」なんて言われるだろうけれど、大麻はすぐに分かるだろうねえ。というか、大胆だけれど、2本ってしょぼくね?ガンチャで買ったほうがリスクはすくないから、もし「オレも若ノ鵬になりたいんだよ〜」なんて人は、そうしたほうがいいよ。てか、この国じゃなくて、それなりにゆるい国に行って、キメないと、あまり良い飛び方はしないだろうね。あれは精神的なもんが影響するからね。
木綿畑じゃなくて麻畑にしたかったのだのだろうか。なんて考えてたら、そう言えば前にそんなことを書いたなあ、って。
トヨタ期間従業員に行こう | 木綿畑のイエス
木綿畑の、っていうか麻畑だともっと「やっぱりゴッドだぜ」なんてことになって(なぜかは考えてね)、あの頃、安保幻想からインド放浪の若者たちが、麻畑に夢を求めてやってきて、数十年というスパイラルな生活を送っているのかもしれないと思うと、そういうトヨタの包容力に、イキそうになるのは、きっとボクだけではないはずですよね。たぶん。

これが大麻草。ま、たまに自生していたりするけれど。あ、これは、日本で栽培した写真じゃないからね。簡単に育つ植物ってのも、あれだね。
作者:田原笠山
更新日:2008年9月4日 21時13分
期間従業員のマイカー持ち込み
解禁されましたね。
というか、
ネコのふるかわ2nd | 突然だねぇ...。
「シニア期間従業員のマイカー持ち込みOK」!!
しかも、「田原・衣浦のみ」の条件付き...。
何故この時期に?
10月1日から実施予定らしいけど...。
シニア期間従業員の組合員化による生活条件改善策第一弾、なのでしょうか。
なめこそばさんも指摘されていますが
持ち込み希望者は、鷲塚寮では2割程度らしいね。
夏期休暇も過ぎたばかりだし、ガソリン代も馬鹿にならないし...。
そんなにお金持ちならば、期間従業員なんかやってないのでは?なんて...。
ということと、シニアになるということは1年以上期間工として地元を離れているので、その間にマイカーを廃車にして、所有率自体が低いのではないかと思っています。全ての期間従業員に対して持込み解禁となると、希望者もグンっと上がるのだろうけれど…。持込み解禁となって新たに買うという人も出てきて、販売台数減少に歯止め、なんて甘い考えはトヨタにはないだろうしね。
衣浦、田原地区限定というのは、駐車場の関係なのだろうか?それとも、地域的格差是正?(なんてことはないだろうけれど)というか、テストケースで半年間様子を見て、そして全体での実施ということなのかもしれないですね。んじゃ、事故でもあれば「やっぱり危ないよ」ってことで、また禁止ってことになるのだろうか?
というか、持込みできるのはトヨタ、ダイハツ、VW、日野、えっと富士重工もかな、ということになるのでしょうね。ま、バイクも解禁になるのだろうから…。
シニア限定じゃなくて、全員だと文句もいいようがないのだけれど、やっぱり奥病だからさあ。(奥田病じゃないよ〜:)。ま、この調子でどんどん解禁、連れ込み、自炊も解禁、マリワナ解禁…、なんてね。
10月1日になったら、地元に車を取りに帰る人もいるのでしょうね。事故には気をつけないと、そこで終わると思うから。ま、ボクとしては、残りの期間が半年とかだったら、辛抱したほうが吉だと思うのだけれど…。1リットル170円、スポーツドリンクより高いしね。もちろん食堂の味噌汁より高いし…。

そして雨の熊本駅前、深夜。
作者:田原笠山
更新日:2008年9月4日 18時42分
ステーションホテル熊本駅(2008年夏18きっぷの旅)
観念的客体としてのオレ。
18きっぷで旅することは、しょぼくないんですか。
会社辞めて、旅することがそんなにすごいんだ〜。
知らなかったです。
というか、管理人さんという人は実際には存在しないかも知れませんね。
* * 2008/08/16 11:38 PM *
この数年、18きっぷの旅ではほとんどが野宿。今回もそうだった。連続して野宿すると、睡眠不足になってきて、一日中覚醒されないままだったりする。そういう部分が好きでもあるのだけれど。
たしかに「しょぼい」かもしれないね。
ただ「18きっぷで旅すること」は「しょぼい」とは思わない。あくまでもオレがしている「旅」は「しょぼい」かもしれないと考えている。
一度、やってみると良いのだけれど、けっこう楽しいのだよ。寝るところはいくらでもある、というか、ホテルの場所は限られているし、選択しなけらばならないからね。時間も決まっている。場所と時間が決定されている、それを秩序と言ったりして、その秩序の中で生きることは案外、楽なもんなのだけれどね。
というかその中でしか存在できない仕組みの中で、オレたちもそいつの一部となっているのだけれど。
○月○日熊本市
夕方到着。
オレの視線が下がるのがハッキリと分かる。住んでいた街だからね。
ほとんど知合いのいない街なのだけれど、それでもオレのことを気にしてくれている人が2人いて(確認出来る、あるいはオレが酒を飲めるほどの知人ということなんだけれど)、挨拶もせずに街を離れてしまったこと、その非礼に対しての「詫び」を入れにきた。
「鴨鍋屋」18時30分待ち合わせ。味噌天神や水前寺公園界隈を散策後、30分前に店に入る。そして待つ間にひとりで飲む。最後に来たのが2年前で、その時はもう少しアイロンの掛かったシワのない姿だったので、きっと今のオレを見ておかみさんも気がつかないのだとろう、何も言わずに、そして何も聞かずに30分を待つ。
カナさんが来て、二階に席を移動して、Nさんを待つ。少ししてNさんが到着。
いろいろなことが、起こる。普通は、この年にもなれば、とりとめのない話で終わってしまうのだろう。
とりとめのない話はないのだけれど、不幸の話はたっぷりとある。Nさんのガンのこととか。そういった負の部分は平等すぎるほど平等に与えられる。その贈与者が誰であるかは不明としても…。
酔えないのは、いつものことで、昔だったらそのあとTちゃんと豚足屋に行って、そして近くのソープランドに「行きましょうよ」と誘われていたのだけれど、今はそのTちゃんとも音信不通。失業する、あるいは、変化があると、失くすもののほうが多い、と思う。
その夜のホテルは、ステーションホテル熊本駅。
カナさんやNさんには「駅前のビジネスとってるんで」なんて言って、分かれる。また逢うことがあるのだろうか、と、思うと、少し…。
近くの健康ランドで風呂に入る。入浴520円。着替えたかった。
健康ランドを出ると、雨。駅まで歩く。少し行っては雨宿り。雨。名残の雨、雨が気持ちをどこかへ引きずり込もうとする。酔いと疲れと、哀しみと寂しさと、痛みと苦しみ、すべて引きずったまま駆け込んだステーションホテル熊本の夜。オレは、黄色いベットの上で、眠ろうとする。
眠りが、治癒や蘇生のためにあるものなのかということさえも、本人にとっては不明なことではあるのだけれど、あるいはそういう効果があるのならば、少し時間をかけても暖かくて柔らかい場所で眠るのだけれど、今は、もう習性となっている、たとえば呼吸のように、吸入と排出という一連の作業のように、身体を横たえるだけで、その行為を取りあえず済ませようとする。
ほとんどの行為はそんなものなのかもしれない、と思っている。

そのステーションホテル熊本駅のしょぼい、しかし色鮮やかなベッド。気分もイエローに染まる。
作者:田原笠山
更新日:2008年9月4日 17時23分
全国学力・学習状況調査
Internet Explorer 8のβ版が出てるけれど、なかなかよさげな機能があったりして、IE6なんてのを使っている人は、試してみると良いかもね。「InPrivate ブラウズ」という機能は、履歴を残さないで共有コンピューターでブラウジング出来るから、ま、あれだなあ、なんて。
ボクはFFなので、履歴は個別に消したりして、いつ何時急死しても、「下着と履歴は綺麗だねえ」という感じで…。最近の夫婦喧嘩は履歴が元で起きる場合もあるだろうから、世の旦那たちには朗報かも…。履歴全部消すと怪しまれるから、やっぱり残さない機能は良いかもしれないと思ってるけれど。
Internet Explorer 8: ホーム ページ
えっと、そんなことじゃなくて、全国学力テストの結果とアンケート調査の結果が出てましたね。「テレビの視聴時間とテストの結果」なんてのがあって、全く見ない子供よりも少し見ている子供のほうが正答率が高かったりするのは、脳の刺激になるのか、なんなのかそのあたりは分からないのだけれど、「テレビ見てないで勉強しなさい」って怒っている親御さんは「テレビは少し見なさい」と言うのかも、なんて思ったり…。
正答率との関係では、「(朝食を)毎日食べる」「ニュースに関心がある」子供の成績が良いという結果が出た。また、学校での出来事について家庭で話をする子供は、正答率が高くなっている。
このへんは、親が環境づくりをしてやることで可能になることなので、「テレビなんか見ないで宿題しなさい」と言う前に、朝ごはんについては食べたくなるメニューを考えるとか、ニュースについて一緒に考えるとか、学校のことをゆっくり聞いてやるとかをすることが大切かも。脳を活発に動かして、いろいろなことに興味を持って、そんでそれをきちんと組み立てて言葉にできる、ってことが大切だってことなんだけれど。

テレビの視聴時間とテストの結果−全国学力・学習状況調査
応用力がない、ということについて、テレビで言ってましたけれど、ま、それは子供だけではないようにも思ったりもしています。
「なんのために勉強するのか」という子供の質問に答えられる、あるいは子供が納得する答えを準備している親ってのは、どれだけいるのだろうか…?
#「お父さんみたいな人にならないために」なんてのは、最もダメな回答だし、「いい大学いい会社に行くため」なんてのもダメな回答なんだけれどさ。きっと。
作者:田原笠山
更新日:2008年8月30日 21時41分
トヨタで良いの?
男性が乗りたい車のメーカー
1・トヨタ
2・ホンダ
3・日産
女性が男性に乗ってほしい車のメーカー
1・トヨタ
2・BMW
3・ポルシェ
……
ふ〜ん、ボクだったら
1・ランボルギーニ
2・フェラーリ
3・GMシボレー(ま、これは乗ってるんだけれどね)
で、好きな男性に乗ってもらいたいのは
1・メルセデス
2・日産(これはGTRってことで)
3・GMハマー
間違っても、
中でも「世界最高の環境性能」と「走りの気持ちよさ」の両立をコンセプトとしている“プリウス”が「乗り心地が良さそうで見た目も豪華だから」(京都府 /10代/男性)、「低燃費で低排出ガスなど環境性能の高いところが魅力」(大阪府/20代/男性)と人気を集めた。また、「環境に優しい上デザインもカワイイ」(奈良県/30代/女性)のように、女性票もバッチリ獲得している。
こんな夢のない選択はしないだろうね。
実際に乗る車とは違うのだからね。「乗りたい」だから。
乗るのは、きっと、中古で程度の良いフィットとかビッツなんてのになるかもしれないけれど、乗りたいのはカウンタックとかね。
ま、プリウスは、くれるんなら乗っても良い車…かも。だって、エコってことだけでしょ、売りは?
ま、それにしても、女性のほうが少しは夢があって1位はあれだけれど、2位ポルシェ、3位BMWを選んだところは、オリンピックの結果みたいなもんかなあ、なんて思ってるけれど。
青年よ犬志を抱け。
じゃなくて「大志を抱け」だね。
人気の車メーカー、男女問わず“トヨタ”が人気(オリコン) - Yahoo!ニュース

画像:Lamborghini Countach LP500S.jpg『ウィキペディア(Wikipedia)』
作者:田原笠山
更新日:2008年8月30日 11時29分
特別扱い
やっぱり、そういうところがダメなんだろうね、二本柔道。
谷に特別扱いなし=柔道
全日本柔道連盟の吉村和郎強化委員長は27日、女子48キロ級の谷亮子(32)=トヨタ自動車=の現役続行について「連盟が指定した大会に出ないと次はない。今までのようにはいかない」と、今後は特別扱いしない意向を明らかにした。
それを言っちゃあダメじゃん。
連盟が「特別扱いしてました」って表明したんだから、やっぱりあの選考は間違っているんだって。
特別扱いされなかった選手(ほとんどの選手なんだけれど)が努力への信ぴょう性を失うことが問題で、雇用問題も同じで、努力しても報われないこの国を象徴している出来事だということ…なんだけれど。
大分県教委、教員不正合格者21人の採用取り消し決定
大分県の教員採用試験を巡る汚職事件で、県教委は29日、2008年度に採用された21人が点数のかさ上げで不正に合格していたとして、採用を取り消すことを決めた。
この2つの「特別扱い」「がさ上げ」どう違うんだろうね。
ま、代表選手採用を取り消すことは、もう出来ないのだけれど…。
教育委員会の委員長ほか幹部も、もちろん辞任するのだろうけれど、江藤被告だけが悪いという問題でもなくて、もう組織自体が腐敗しているんだから、刷新するしかないのだろうと思うし、それがケジメってもんだろうと「採用取り消し」ってのは、根本的な解決策にもならないと思ったりする。ま、組織を刷新したところでも同じだけれど、そうなると解体廃止するしかないのかもね、なんて思っていたり。
ま、そういう意味で、少し前に書いた
トヨタ期間従業員に行こう | 愛知の女は一本勝負なのだ
「一本柔道」と谷本選手が言わなければならない事態というのが、尋常ではないように思います。一本柔道、じゃないとすると、この国で行われている柔道は……
なんか妙な技が流行していて、二本だとか三本だとかの数で決まったりするのだろうかなんて、二本という国のことを少し憂いている、雨の土曜日なんだけれど。
#ん?二本だったっけ、三本?

作者:田原笠山
更新日:2008年8月30日 9時21分
ハンバーグギョーザ
のことは前に書いたのだけれど、職業訓練の日々は楽しいわけがない、と思っている。
全員が失業者だから、やはりそれなりの空気があって、ないとしても「あるふり」をしないといけない空気もあって、やっぱりスッキリとしないものだったりする。
「失業保険を延長できるから」なんて人もいるのだろうし、ほとんど労働意欲なんてない主婦の人もいたりするのだろうから、というか逆に「就職めざして、エイエイ、オー!」なんて気合い十分の人のほうが、浮いてくるということもあるのだろうから、そうなると、やはり空気は二層化してしまうのだろうと思っている。それは教えるほうが、もっと感じられる
のだろう。
職業訓練の話は、改めて書いてみたいと思っているのだけれど、とにかく訓練の日々は楽しいわけがないのだけれど、それでも、辛いとか苦しいとか言うことでもないし、重ぐるしいのだけれど、気楽でもある、というような日々のようでもある。そして就職のための訓練なのだけれど、訓練期間も終盤になってくると「とりあえず卒業しとくか」みたいな、就職よりも訓練というような感じにもなってくるようでもある。のだ。
後ろの席の人の年齢が気になってしかたないのだけれど、聞けないでいる。よく話をしている人に「いくつなんですかねえ」なんて訊ねたのだけれれど知らないらしいし、そういった話はしたことがないらしい。
女性の年齢は分かりにくい。衣装や化粧や自称なんてことでかなり違ってくるのだろうしね。詐称ってことも芸能界なんて世界ではあるぐらいだから、たぶん、1歳2歳という違いが、靴下と手袋ぐらい(たとえが悪いのだけれど)あるいは、ウサギとカメぐらい(これも悪いのだけれど)、それともハンバーグギョーザとルービックキューブほどの違いがあるのだろうと思っている。
あるのだろうか?
ないようでもあるのだけれど、あったとしてもないのも等しい…というような日本語のアンビバレントな表現でしか言明できないような案件、なのかもしれないと考えている。
1歳2歳、あるいは5歳10歳なんてのは、あまり関係ないように思うのだけれど、関係ないように思うのだけれど、気になってしかたないのは、後ろの席の人がその10歳ぐらいを感じさせるからだろうと思う。「30歳です」とキッパリ言われても「そうなんだ」と答えるだろうし、「40歳なんですよ」なんて少し控え目に言われても、やっぱり「そうなんだね」とこれまた控え目に答えるのだろうしね。
と書いているボクのほうが、実はその1歳2歳を気にしている派(という派があるのかどうかは分からないのだけれど)なのかもしれないと思っている。というか、ボクはどっちかというと「お若いですね」と言われたほうが嬉しいし、それは1歳よりは2歳、2歳よりは3歳、そんであの肉体年齢測定機能付き体重計のように10歳以上も若く言われると、もう喜々として飛び上がらんばかりに「ウヒョ〜、コメヒョ〜」なんて、こっそり飛び上がったりもすのだけれどね。
人は、ある一定の年齢に到達すると(きっとそれは「衰え」を感じる時なのだろうけれど)、実年齢よりは若くなりたいと思うものなのだろうね。その衰えという比較する対象をどのあたりに設定するかということで、1歳2歳の重量も違ってくるのだろうと思っている。
という長い話を書いても仕方ないのだけれど、結局、やっぱり女性の年齢は「聞いてはいけない」という不文律があって、それを破ると「なんてマナーの悪い人なんだ」なんて思われるのが嫌なので、聞けない、ということなんだろうと、わが身がやっぱりカワイイもんね…なんてことなんだろう。
なんて言いながら、その「年齢」という1点を除けば、案外失礼なことが多いし、思いやりとか優しさもない、ってのが、ボクたち男だったりするのだろうけれど…。きっと。

簡単なgifアニメーション。
作者:田原笠山
更新日:2008年8月29日 17時43分
豊橋のゲリラ豪雨
NHKのニュースで柳生橋周辺の様子を放映していましたね。ずいぶんと被害が出たそうなので心配していますけれど…。
柳生橋界隈は、ユニクロやエイデン、ゼビオに行くためによく歩きました。愛大前で下車してゼビオ、そしてユニクロ、柳生橋、というコースの時もありましたけれど。有名な鰻屋さんやラーメン屋さんも近くにあって、それで利用したという人もいると思います。
「次は新豊橋駅」という車内アナウンスが聞こえる、ひとつ前の駅。あるいは「次は小池」とアナウンスされる、次の駅。柳生橋に下車したことはないとしても、車窓から見える風景を思い出した人も多いのではないかと思っています。
週末の、得体のしれない重い気持ちを引きずった豊橋から帰り、「次は小池」と聞こえる、午後の柳生橋…。あるいは満了して豊橋へ向かう、やはりなんだか分からない寂寞とした気持ちが寄せてくる「次は新豊橋」と聞こえてきた、お昼前の柳生橋…。
どんな瞬間だとしても、きっとボクたちの柳生橋は、なにか鈍い、例えば「決心」というほどの深重な思いとともに、あるのではないかと考えています。
柳生橋界隈の水害のニュースは、きっと、多くの期間工経験者には、そんな思い出とともに、見られたのだろうと思っています。
そう言えばトヨタ、あの前の国道は、通称田原街道といって、田原市へと通じる道なのですが、二直の通勤に影響したのかもしれませんね。いや、ほとんどの人は湾岸道路を通るのでしょうか。それでも、柳生橋があの状況だと、日航ホテルの前の道路、柱の交差点なんてのも水没したのかもしれませんね。愛大の方から行くと随分と低い場所ですから…。
今日は、昼間に激しい雨が降って、夕方4時頃には止んで、清々しい空気のなかの終わりでした。
(残業中に落雷があって、諸々のシステムダウンのため、0.75の残業が0.25になりましたし)
* 滝の唄人 * 2008/08/28 9:44 PM *
システムダウンと、遅刻する人も多くて、という理由もあるかもしれないですね。
「降ればいつも土砂降り」という英語の構文の有名なフレーズがあったのですが(英語でなんて言ったかなあ…)ゲリラ豪雨ってのは、その「土砂降り」とはちょっと違うようで、最近は多いですね。そして、降ればいつも被害が出る。
北京オリンピックに使用された(とされる)雨雲拡散ミサイルの影響なのかもしれませんね。(てか、あれは使用されたのですよね)きっと、多少なりとも(かなりかもしれませんが)影響はあると思っているのです。
#根拠のない話なのですけれど…。きっと。

ある日の昼食。豆腐のミートソース。豆腐を温めればよかった…。
作者:田原笠山
更新日:2008年8月28日 22時49分
オリンピック雑感
寒い夏の終わりだね。
いつの間にか北京オリンピックも終わっていて…。
ベースボールはあれだったけれど、ソフトボールは金メダルだったようで、日曜日の朝はマラソン男子よりもそのソフトボールの上野選手が出演していた番組のほうが、視聴率があがったのではないかと感じていたのだけれど…。そんなオリンピックのことを少しだけ…。
ソフトボールもだけれど、シンクロナイズ、体操、卓球、水泳に400メートルリレー…、日本は団体種目のほうが強いのではないかと、というか、団体種目こそ日本人の力が発揮できるのではないかと、漠然と考えていた。
特に400メートルリレーとか卓球を見れば分かるのだけれど、個人戦においては、100メートル走でボルトのような日本人は出ないのではないかと思ったり、卓球の愛ちゃんにしても、中国の壁は高すぎるように思うのだけれど、それでも団体戦においては、ご存知の通り400メートルリレーは銅メダル、卓球も3位決定戦まで勝ち進んだし。
ソフトボールもきっと、個人戦があって、遠投とかホームラン競争とか、ベースランニングがあったら、日本人は、どうなんだろう、もしかしたら金メダルは取れないかもしれないと思っているのだけれど…。
団体戦に強い、という民族だということなのだけれど、それはなにも今に始まったことではなくて、「群雄割拠」の時代なんかを考えると、やっぱりチームゲームを得意とするのが日本人じゃないかと思っている。
どうだろうか?
ということは、今後JOCは各種目の団体戦を行うことをIOCに提案して、金メダル獲得数も、団体戦を1とはせずに、人数分カウントするようにすれば、きっと日本のメダル獲得数は飛躍的に増加すると思うのだけれど。
毒ギョーザ、じゃなくて、中国での開催だったから、なんてことではなくて、オリンピックじたいみんな白けた目で見ていたりするのかもしれないね。個々の種目は感動する場面が多かったし、愛ちゃんやレスリングの浜口選手のように、負けても勝っても笑顔、アナウンサーが言ってたけれど「日本人の笑顔」ってのは、良いなあ、なんて思っていたのだけれど。
チームという感覚が薄れてきているのではないかと考えたり、そういう感覚での民族という意味も廃れてしまっているのではないかと考えたりしているのだけれど、そうではなくてパトリオティズムみたいなものは強まっているようでもあり、ネットではそっちのほうが主流になっているようにも感じたりしている。右化なんてことも言われてるしね。
そういう意味では、今の中国は絶頂に達しているようでもあるのかな。そのために行われた、国威発揚の場にした、ということなんだろうけれど、どこで行われても、結局は、何かのメリットを求めるのだろうし。
そんでも、やっぱり日本人では勝てない(そんな種目もあって)、という絶望感もあったりして、んじゃその感覚をどう処理するのか、なんてことになると、やっぱり「一億総玉砕」なんてことを言い出すのかもしれないし、なんて思ったりね。それが日本人の生き残る道なんだろうし、なんてことも思ったりしている。
えっと、話がバラけてしまったので、もう寝ます。
作者:田原笠山
更新日:2008年8月25日 23時36分
在籍手当5万円も長期休暇手当だったのにね、トヨタ
ボクが期間工としてトヨタに来た年は、ゴールデンウィーク、夏休み、冬休みの年3回、5万円の手当が出ていたのだけれど、それがいつの間にか「6か月在籍
手当」というのに変わってしまっていて…。そしてその変化について、誰も何も言わなかったんだから、トヨタってのは凄いなあ、なんて思ったりした。確か、
2004年までだったのかな。
そのシステムが変わった時には「入社時期によって貰える人と貰えない人がいるから」なんてことが言われていたのだけれど、それはその後の「特別手当10万円」でも同じで、1週間違うだけで10万円の手当が付かなかった、なんて話もよくあることだったしね。
9000人弱の期間工を使っているキャノンなんだけれど、年間3億円なんてのは、今までしたきた偽装請負なんてので儲けた額に比べれば、それプラス期間工だけではなくて派遣社員もかなり使っていることで削減できている人件費に比べれば、少ない額なのだろうと思っている。
キヤノン 期間社員に4万円/夏冬休業補助 8900人対象に/志位委員長提起で実現/「ありがとう」 現場は大喜び
「京浜地区は二万円、そのほかの地域は少し低いが、キヤノングループの期間社員全員に休業補助を支払います」と語っています。
キヤノン非正規労働者組合、なんてのがあるんだね。トヨタには出来ないだろうね。それどころか、シニアをユニオンショップ協定で組合員化するにいたって は、期間従業員までもがトヨタ労組の組合員になったのだから、無敵の組合になってしまったようだし。シニア比率も高くなっているし。ま、キャノンほど条件 が悪くない、というのもあるのかもしれないけれど…。
ATUは…、ま、頑張っているのだろうけれど…うまく伝わってこないし、期間従業員との接点も少ないのだろうし…。
メルマガ発行の準備 - 全トヨタ労働組合(ATU)
どうなんだろうね、メールマガジンは登録しても読まない、という人も多くて、どれぐらいのスパンで発行するかにもよるのだろうけれど、まさかブログと同じ 内容をメルマガとして発行するようなことだと(たぶんそうなるのかもしれないけれど)…、ボクとしてはちょいと懐疑的なのだけれどね。
というか内容が同じだとしたら、わざわざメールに配信してもらわなくても…という理由で、ボクは登録はしないけれど…。
ということで、また1週間の始まり…。

作者:田原笠山
更新日:2008年8月24日 21時52分
色気の雨
雨音で目がさめる朝。これが平日だとしたら、それでも強引に眠ろうとするのだろうけれど、何の予定もない日曜日の朝は、1日の始まりが4時だろうが5時だろうが、たいして問題でもないように思う。「篤姫」まで起きていられるかが問題なだけだけれど…。
「この秋の雨はなんとも色気があるね?」
なんてメールを頂く。
少し想像してみる。
その人が見ているだろう風景とか、感じているだろう感覚とか、まで立ち入らないと理解できないレベルってものがあって、その「色気の雨」も、例えば雨の量(雨粒の大きさとかも)、気温、地上なのか階上なのか、色とか(雨でも晴れていたり薄曇りだったり暗かったりするしね)香りとか、雨と反対側の(部屋の中だったり車の中だったり)様子だとかがあると思う。
それに感情が重なり合うと、たぶん、同じ雨でも見え方、感じ方は全く違うものになるのだろうしね。
それが言葉として生まれるかどうかは、また別問題で、泣いたり笑ったり叫んだり怒ったり、という感情というものが生まれる、その瞬間を大事にするかどうか……そこが情緒の問題だったりするのだろうけれど。
ま、そこまで書かなくても、ほとんどんの人は「ああ、それが価値観の多様性ですね」なんて思うのだろうけれど。また表現力なんてのは、(全てはそうではないとしても)言語力とバランスをとり合うのだろうから、そのあたりはやっぱり個人差はあると思う。
ボクが強くそんなことを思うのは、えっと、ま、ボクの感覚に少しだけ異常があるということで、たまに「ええ」と驚かれることがあって、その時に「人との違い」を、これまた「ええっ」って感じることがあるからなのだけれど。
やっぱり人の感じ方は違う(違い過ぎる)のだろうね。
ただ、ま、例えば雨との距離感、なんてことは、意識しないと感じられないものだろうし、例えば、その雨に打たれると「色気」よりは「寒気」になってしまったりするのだろうしね、ま、それでもマトワリつくような雨に「色気」よりも「艶気」を感じたりもする人もいるのだろうけれど…。
そう言えば、写真家梅佳代さんの言葉。
「被写体と自分との距離感が大切だから。ズームレンズはずるい感じがする」なんてことも、そんな感じなんだろうね。特に望遠側だとその感じが強くするのかもしれないと思っている。
例えば人物にしても動物や風景にしても、望遠で撮るとどこかテレビの中という感じもするし、体温とか呼吸とか匂いとかなんて感覚からも遠ざかっているので、形と形じゃないものとが別々に存在しているようになるのかもしれないと、思ったりもする。
というか、35mmとか50mmの単焦点レンズで人の写真を写そうと思うと、握手出来る程度に近づかないといけないので、挨拶から始まって、そんで「ちょっと立ち止まってもらえますか」なんて命令までしてしまうのだから、そうなると、信頼関係も一瞬のうちに築かなければならないだろうし、かなり面倒なことになってしまう。だけれど、それが、その距離が、大切なことなのだろうと、思った。
写真だけではなくて、世の中にはずいぶんその「ずるい感じ」がするものが多いように思う。その「ずるさ」は「便利さ」というボクたちが追及してきた文明の基本概念と同義語なのだから、文明を手に入れた代わりに、なにを失くしたかと言うと、やっぱりそう言った感覚なのだろうと、思うのだけれどね。
えっと、ま、今さらって話なんだけれどさ。

メザシはフライパンで炒ってから七味(一味でも)をかけて食べるのが美味しいかもね。そうすると頭の部分も焦げないし…。
作者:田原笠山
更新日:2008年8月24日 6時58分
秋の匂いが少し
山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。
ブログは書くよりも、読むほうが、というか、読むだけにしていたほうが、精神上良いのかもしれないと、つくづく考える。知識欲、情報欲なんてものがあって、どうもネットから離れられない。
しかし本を一冊読んだほうが、とか、映画を一作品見たほうが、「詩が生まれて、画が出来る」のではないかと思ったりもする。いや、詩人でも画家ではないとしても、心を揺さぶられれる何かを感じて、なにかしらの形で表現できるのではないかと思ったりする。
そう言えば、一昨日は生サンマを買った。焼くよりも煮付けのほうが良いだろうと、干し大根と糸こんにゃくと一緒に煮た。板コンニャクのほうが良かったのだけれど、週末の込み合ったスーパーで、お兄さんが板コンニャクを買うってのは、開店すぐのTSUTAYAでエロDVDを借りるようなもの(借りたことがないので分からないのだけれど)のようで、そう思ったときには、もう糸こんにゃくを買い物かごに入れていた。
いったいいつ頃から、板コンはそういった不名誉な、あるいは、不本意な、扱われ方をされはじめたのだろうか、なんて考えている。というか、人間の想像力もすごい。
想像力…。
インターネットは「世界と繋がっている」なんて言われているのだけれど(そうなんだけれども)、実は、ほとんどの場合「世界」どころかかなり狭い場所での繋がりでしかない。言語の問題が、その「世界化」を妨げていて、ほとんどの日本語のサイトは日本語を読める人にしか「読まれていない」。(「見られている」ということはあるだろうけれど)
そういった「言語の問題」だけが障壁かというと、どうもそうではないように思う。
世界と繋がるようになった、あるいは錯覚するようになった、この10数年という時間は、生き方や働き方、食べ物やファッションや性、ほとんどのものは多様化され、それぞれ認め合うような社会になっていたのかと思っていたのだけれど、どうも多様化どころか画一化に向かっていて、世界(グローバル化)どころか、村社会の掟のようなものを作ろうとする人たちが多く出現してきたようにも感じる。
ま、良いけれど、あの騒ぎはきっと、夏休みが終わるという苛立ちから「言いたいことを言っただけ」なのかもしれないと思っています。血が騒ぐ人もいるだろうしね。そういう意味では、役に立ってるのかもしれないと思ったりしているのだけれど…。

作者:田原笠山
更新日:2008年8月20日 21時54分
出発
出発|人生の放浪者ですよ
やっぱ旅は人を大きくすると思う
人の大切さとか今を大事にしっかり生きなとか世界観とかあと物事の捉え方とか大きくなると思う
普通に地元でずっと1つの場所で生きて行く人には味わえんであろー感情をたくさん味わってきた
俺は子供の時から自分的に人よか未熟な人間やから色んな事をして来た今までの人生で合ってたと思う
フリーターやけん色々言ってくる人もおったけど自分の事は自分でしかわからんけん自分で人生生きて行かないかんけんね
その通りだよ、たつや。
きっと、お金にはならなくても、自分を見つめられる、あるいは、自分の未熟さを客観視できる機会があるのが「旅」なのかもしれないね。電車や船に乗って…。
でもね、それは旅をしたからではないのかもしれないね。
遠く故郷を離れて、期間工として働いてきたからかもしれないね。
トヨタ期間従業員に行こう | かわいい子には期間工に行かせよ
かわいい子には期間工。
旅と言っても、飛行機乗ってタクシー使って、着いたホテルでプールサイドでビールにランチ、夜になったらカジノに買春、おまけにマリワナ吸って、ガンジス川でバタフライ、なんてことになるぐらいなら、かわいい子には期間工に行かせるというのがいいのかもしれないと、思っています。
でもね、その「旅」あるいは「期間工(という旅)」も、結局はそれほど人生において物質的な豊かさはもたらしはしない。どちらかというと、貴重な体験という無駄な時間の繰り返しなのだから…。どこかで旅を終わらせる勇気が必要なことだってあると思うのだよ。
トヨタ期間従業員に行こう | 印度放浪
旅というなにか万能薬は、結局、呪い(まじない)みたいなものだったのだろうと考えたりもした。
何かが見つかった気はするかもしれないね。「大きくなった」というのも錯覚かもしれないね。でもね、一番大事なことは、たつやの言う「未熟さ」を感じ取ることかもしれないと思っているのだけれど。
きっと、遠く離れてみないと物事は見えないということなのだろうね。それは場所というものではなくて、自分を幽体離脱した自分が眺める感じで、自分を見ることができるかできないか、ということだろうと思っている。
明日から仕事だね。
無駄ということはないのだよ。期間工の生活もね。旅なのだから。
何かを想い、何かを考える、そして孤独ということさえも、貴重な体験として捉えるのならば、それはどんな旅よりも、意義あることのようにも思うのだけれど。
作者:田原笠山
更新日:2008年8月17日 21時22分