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トップ > バセット・ハウンド > バセット・ハウンド - 人気ブログ(Blog)検索結果詳細 (2008年12月3日 11時)
政宗一成・雑感――その4
一つ、バスに乗り遅れたって構わない。次のバスを待とう。バスが来なければ、自ずが走ればよい。
一つ、冒険が、「夢」を叶える。危険(リスク)、挫折から逃げない。これらは「巨きなエネルギー」の
原動力だ。
一つ、「縁」と「円」は、自力で回すものだ。澱ませない。封じない。常に動かす。完結させない。
一つ、矛盾、疑問、怒り、模索、葛藤、破壊、混沌、再構築、創造―。
一つ、ムンク―MUNCH―世界の表現主義に大きな影響を与えたノルウェーの詩人・画家。
代表作に「叫び」。―夢吽空(むんく)
一つ、「言霊」―人間ドキュメント!日本人先人が「人間として何(ど)う生きたのか」。過去を繙き、
未来を探る。今、日本DNAを問う。
一つ、弾ける「夢」を「空」に「吽える」
悠々と急ごう――言霊「夢吽空」 主宰 政宗一成
作者:
更新日:2008年10月4日 23時49分
政宗一成・雑感――その3
一つ、肩書き、見栄(プライド)、常識、概念、地位、人の眼、名誉、過去の栄光、計算と説明と解説と
言い訳。そして「拝金」。これが「人間性」を蝕む。
一つ、「他人の眼」に縛られて、本能の声を無視しない。自分を愛おしみ、自分を労わる。自分を褒める。
一つ、「重箱」の隅をつつく「常識」の輩に、「人間宇宙」は何ら観えない。「人間」とは技術に翻弄される機械ではない。ロボットではない。
一つ、「一」を為すに「百」の当然。「百人」は相手ではない。相手は、「一人」だ。
最初の一人が、「己」(おのれ)。―これ普遍。枝ではない、「幹」である。「根」である。
一つ、時流に媚びない。阿(おもね)らない。迎合しない。群れない。「時流」と「芸術」は自ら醸すものだ。
作者:
更新日:2008年10月3日 21時12分
政宗一成・雑感――その2
一つ、優れた表現とは、単に積み重ねることではない。
数多(あまた)の積み重ねを「舵」で削ぎ、「気」で抉(えぐ)るものだ。魂、荒(すさ)ぶるべし。
一つ、麗しい母国語―日本語「言霊」。機微溢るる陰翳、韻律、リズム、テンポ、「、」「。」行間。
隠れた本質を繙き、表に表す―これが表現だ。「間」(ま)の絶対。―「間抜け、間のび=間違い」
排除する。「間」とは、遊びである。ゆとりである。「人の間」=「人間」
一つ、「気」を吐けば、新たな「気」は自ずと入ってくる。「息」をする―「活きる」、「生きる」。
一つ、人生は重厚長大である。人間が生くる尊厳は極めて重い。だからこそ表現は単純(シンプル)が楽しい。「楽」と記す。極楽―極く楽しいと記す。
一つ、頑張らない。一生懸命が疲れる。「一所懸命」が楽しい、正しい。完全はあり得ない。
永遠の未完全―これ既に、「完全」である。
一つ、「努力」、「忍耐」、「根性」、「誠実」、「完璧」、「清く、正しく、美しく」―
これら過ぎると、いずれも裏目に出る。「いい加減」が「適当」である。
常識、概念は、破るためにある。「前例」は創るためにある。「道」は後(うしろ)に拓ける。
一つ、「プアゾン(毒)」、「色」、「匂い」、「癖」、「技」、これら特別のフェロモンを
源泉とし、アドレナリン及びドーパミンを醸す。
作者:
更新日:2008年10月2日 21時4分
政宗一成・雑感――その1
一つ、表現、創造に於いて「夢=無」に餓(かつ)える放浪者の群である。冒険者の群である。開拓者の群である。
一つ、人間表現について、己にプロフェッショナルの群である。俳優、ナレーター、声優、アナウンサー、音楽家、詩人、作家、書家、画家、映像作家、落語家、落伍者、講談師、好男子、別嬪、滑稽者、
骨董者、あらゆる肉体表現者、創造者を同人とする。
一つ、ナレーション、朗読、語り、群れ語り、声明、群誦、連読、コロス等に、演劇要素を加えた「言霊(ことだま)ナレーション」。序曲、間奏曲など、あらゆる楽曲効果は「生」と専門音響プロデューサー製作の物にに限る。
一つ、人生の「表舞台」に生身を晒し、「夢」を「空」に「吽」える。肉体を持って楽器本体に、魂を弦に、源泉の感性で―弾(ひ)く、弾(はじ)く、叩く、叫ぶ、吼える、煮える、たぎる、爆竹し、爆裂する。―震える、呻く、挙げ句 黙る。―放電する、発電する、蓄電する。
一つ、肉体で考える。体が動けば「脳」が動く。脳は体の一部だ。人が動いて―「働く」。人格指数、
体感指数、五感指数、表現指数。これが人間指数だ。「智恵」である。「気」である。
「五官」及び「第六感」である。
作者:
更新日:2008年10月1日 12時6分
映画とテレビ
僕がまだ小学校4年生の頃、日活・東宝・東映等によるまだ銀幕全盛の時代。又、ハリウッドの「風と共に去りぬ、ベンハー」等が一世を風靡していた時代。
敗戦の痛手から日本人が回復しつつあった時代。日本にもテレビが登場した。
そのテレビが徐々に映画を駆逐して行くことになろうとは誰も予期出来なかった。
しかし、当時僕の眼の前のテレビに現れたのが日本プロレスのヒーロー「力道山」だった。
アメリカ悪役の反則でボロボロになった7時40分頃からの最後の必殺空手チョップは、赤鬼ブラッシー、ブッチャー、覆面プロレスラーを次々と薙ぎ倒してゆく。僕の父方の祖母は「リキドウ頑張れ!」と血圧を上げていた。ハラハラ、ドキドキ、しかし胸のすく思いで僕はテレビに釘付けだった。
大関・大鵬は宿敵柏戸を倒し、2場所連続で優勝。
横綱に登り詰めた。その直後柏戸も横綱に昇進。
伝統の巨人・阪神戦、昭和天皇・皇后観覧の「天覧」試合の許、スーパーヒーロー長島茂男の劇的逆転サヨナラホームラン。阪神ピッチャー、打たれた直後の村上のあの表情は忘れられるものではない。
巨人・大鵬・卵焼き――当時の流行語だった。
真暗な映画館での主題歌は流行歌として流行ってゆく中、石原慎太郎原作・石原裕次郎が主役を張った「太陽の季節」――太陽族は、当時の若者文化をことごとく新たにした。一方同時にただで観られる「テレビ」――チロリン村とクルミの木、月光仮面、鉄腕アトム、怪傑ハリマオ、名犬ラッシ―、コンバット、逃亡者等々枚挙にいとまが無い当時、テレビは僕に夢を与え続けて呉れた。
テレビにより映画は衰退を余儀なくされるが、その僕のサラダ・デイズ(幼い頃の思い出)を刻んだその「テレビ」が50年前、大家壮一が「日本一億総白痴化時代到来」と予言した通り、今、文化・表現を蝕むことになろうとは、誰も耳を貸すものではなかった。
優秀なテレビマンは、今、新たな表現を模索しつつ次々とテレビ界から去っていきつつある。
作者:
更新日:2008年9月30日 11時34分
血――死
必ず死ぬる為に、
「人間」どうして人間として生きねばならぬか。
どう死ぬ為に、今、どう生きぬくか
三界――1200年前、仏教で言えば、印度から中国を経由し、本朝にもたらされ、日本先人が独自に編み出した、古来から「言霊」があった故の日本文化の至高――言葉(ことのは)
理屈抜きで解釈可能な、楽な生活を楽しむべきだ。ごく楽しい――「極楽」と記す。
「考える」ことは当たり前として、しかしこれら、過ぎぬ事も重要である。考え過ぎて「石橋を叩いて渡る」と言うことわざがあるが、叩いても渡らぬ人々が増え過ぎた。世間が呪縛し続ける。
考えて動く事だ。ニンベンに動くと記して「働く」すなわち「業」である。
純粋に、まず聴くこと、そして真直ぐに己の真実、さらに誠実を語ること。
「五官、及び第六感」を削ぎ研磨する事こそが、畢竟魂と肉を洗い浄める。
声の響き――血の伝承「言霊」が、己の、内に秘められるエネルギーを起たせる。
「五官と第六感」に感応せよ。
「死」を予知し行動を起こせ。
「血」を思い知れ。
「生きていていいのですか」――誰かに聞いてみたい。
答えは決まっているので、誰もそれには答えないだろう。
みんな黙って自身の人生を行きぬいている。自習している。
終わりの分らない、長いようで短い人生の自習時間を、あるときは積み重ね、ある時は削りながら、日々を重ねている。
「生きていていいのですか」――天も答えては呉れない。
作者:
更新日:2008年9月29日 13時7分
血――忘れな草
花の一種「忘れな草」―――この花の名前を付けたのは、あのアダムと言う説がある。
彼がまだエデンの園に住んでいた頃の話だ。
「チューリップ、あさがお、薔薇、水仙」等、全ての花に名前を付け終り、それらの花の血――種が喜んでいるかどうか確かめる為、エデンの園をアダムが散歩していると、濃いムラサキの可憐な花に声を掛けられた。
「私の名前は何と言うの?忘れないでね」
アダムは嘆いた。
「うっかりしていた。こんな可愛い花を見落としていたなんて。許しておくれ。二度と忘れないよ。そうだ、忘れないように、忘れな草にしよう」
だからこの花の血――種「忘れな草」の英語名は「フォゲット・ミー・ノット=私を忘れないで―――」
作者:
更新日:2008年9月28日 16時28分
血――アスリート
より美しく、より麗しく、より速く、より高く、より強く――
コンマ1秒の為に、コンマ1cmの為に、アスリートは骨身を削る。
精神とは肉体の別の名だ。
アスリートはそれぞれの競技に適した理想のフォルムを追求し続ける。
贅肉を削ぎ落とす。研ぎ澄まし磨き上げる。そこに、新記録が待っている。
己のエンジン性能・ギアシフトは己が決めろ。
「心技体」に収斂される選ばれしアスリートによる世界新記録は、オリンピックで発揮される事が多い。
アメリカのマイケル・フェルプスは、競泳にて、7つの種目で世界新記録を出し続け、超人犇めく中で頂点に立った。眼は猛禽類の如く鋭い。日本の北島康介も然りの眼光だ。既に野性を超えている。
更に、オリンピック陸上の花と賞される100メートル競走に於いて、超人ボルトは最後に余裕すら伺わせ、軽く流しながら今までの記録を一気にコンマ1秒以上も更新した。9秒69圧倒的勝利だった。彼らは更に己の本能による闘争心で己の記録を塗りかえる事間違いない。その人間性・魂と肉の一致には、唯驚くのみだ。ボルトはレース後、こともなげに言った――「仕事は楽しまなきゃね」
圧倒的「力」は人智を超えている。
4年にただ1回しか開催されないオリンピックにて、精神と肉体を鍛え上げたその成果は、努力の賜だ。
己に対して極めて厳しい因果は、世界中に驚きと感動を与えてくれる。
凄い。
さらにボルトは専門とする200メートル競走で、マイケル・ジョンソンの持つ驚異的記録19秒32をコンマ2秒をも上回る19秒30で世界記録を樹立。身長196センチの大男は今度はもの凄い形相をし全力で走っている。
400メートル・リレー競技でアンカーを勤めたボルトは圧倒的力で2位以下を大きく引き離し、ここでもとてつもない世界新記録を打ちたてジャマイカに金メダルをもたらした。ボルトは、己の肉体の最後のコンマ1グラムまで削り、結果陸上競技の頂点に君臨し続けたアメリカに対して報復を果たしたのだ。新たな伝説の序章である事は確かだ。
「大男、総身に智恵は回りかね」と言う小さな日本人はその智恵と技術により発展はしたが、「有言実行」を果たした彼らに、ただ驚き戦くばかりだった。
ボルト達は「有言実行」が唯一の励みとし、己の魂に肉体を委ねつつ、己の未来を予測しただ行動したに過ぎないのかも識れない。一方日本に於いて、かつて美徳とされた「不言実行」は、有体において卑怯と言われても、なりふり構わずの成果でも、「結果良ければ全てよし」とした。今、日本人は解釈を新たにされるに到ったに違いない。
今、有色人種の優秀性は政治・経済・文化等様々な分野でも発揮されつつある。――血だ。
今日のプチ・バセット・グリフォン・バンデーン「グリコ」
今日の化け猫トムキャットイーグル「ケムンパス」
作者:
更新日:2008年9月27日 10時3分
血――金・銭
大自然の許、何故人間は「面倒くさい」と言うのか。
動物界の中で「人間」の血のみが持つ特殊な倦怠である。
血――DNA、つまり感情あるが故の言動なのか。
自然の摂理に委ねよう。
天から授かりし、血の不可思議に身を任せよう。
血に慄こう。
自然と対峙し、血と肉と骨を持って培う。
過剰なテクニック・装飾・化粧・妥協・忍従。
これら忌まわしい幻影に縛られるのはもう止そう。
業(なりわい)=創造仕事に徹しながら、静かに、おごらず、飾らず、単純(シンプル)に、一緒に生きよう。己の魂を他人に売る事をやめて、己の人生は己で決めよう。血に従おう。
「お金持ち」は意外にも、その魂自体が「貧乏」な人々も少なくない。立身出世する事は対して努力は当然の事とは言え、「拝金」と肩書きが人間性を蝕んでいる。
作者:
更新日:2008年9月26日 21時2分
血――義理と人情
人間同士の間の正しい筋道、つまり道理・意味・訳の事を「義理」又は、仁義と言う。「義理欠いてはならぬ」等自己が他人との交際上の様々な関係に対する誠実な意思営為であり、特に江戸時代以降この義理は重んじられている。「義理の母=義母」等、血族でない者が関係を結ぶことにより極めて固い絆を繋ぐと言う意味をも指す。
一方「人情」は人間に自然に備わった慈しみや愛情等、情(なさけ)の極みである。大きく血が携っている。「人情味溢れる人物」等と心優しき人を褒め称える情ある言葉でもある。「人情話」等ほろっとさせて呉れるものだ。
義理と人情を秤にかけることは出来ない。
そこに介在するのが、最も力強い最も尊い血による「誠意」だからである。
「誠心誠意」=まごころは己を又、他人様を裏切ることは決してなく、人間にとって最も大切な天より授かりし第六感の為せる業だと想う。
己と他人に「義理と人情」を持って「誠実」に生き抜くのがこの世の道理だ。義理と人情そして誠意――これらによって「感謝」が自ずと生じる。
血と絆――極めて重い。しかし誠意を尽くせば尽くすほどどんどん軽くなる事に、還暦を迎えた今、やっと気付いた。
作者:
更新日:2008年9月25日 3時39分