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トップ > ビアデッド・コリー > ビアデッド・コリー - 人気ブログ(Blog)検索結果詳細 (2008年9月8日 3時)

出会いたいワンコ ブービェ・デ・フランダース



ブービェ・デ・フランダースはベルギーとフランスの国境地帯フランドル地方を中心に古くから飼育されていた牧畜犬である。
イギリスの女流作家ウィーダの小説「フランダースの犬」のパトラッシュとして一躍有名になった。
ブービェ・デ・フランダースは16世紀前後に、支配者であるスペイン人がフランドル地方に持ち込んだ犬が起源と考えられており、グリフォンの血を引く犬種である。
犬名のブービェは「牛追い犬」の意である。
ベルギーには多くのタイプの「ブービェ」が存在したが、ほとんどの種が絶滅し、ブービェ・デ・フランダースがベルギーのブービェの只一つの生き残りである。

ブービェ・デ・フランダースはベルギー、フランスではポピュラーな犬種となり、急速に人気を高めていった。
第1次世界大戦勃発により彼等の運命は一変する。
ブービェ・デ・フランダースはフランス軍の医療物資を運ぶ医療犬として戦場を走った。
この戦争でブービェ・デ・フランダースの故郷と言われた地方は焼け野と化し、ほとんどの犬が失われ、犬種存続の危機に直面した。
戦後生き残った数頭の犬により再生されたのが現在に伝わるブービェである。

使役用途の犬、特に牧畜犬は能力本位で作出される事が常であるため、サイズにはかなりの幅があり、大型のものは荷車曵きとして使われた。
彼等の飼い主は家畜商人や農夫であり、血統書付きの純粋種の繁殖に興味があったとは考えられない。
近年ブービェ・デ・フランダースのスタンダードが制定されるまでは毛色やサイズに統一性がなく、異なる多くのタイプが混在していた。
ブービェに限らず現役の使役犬種をドッグショーに出陳する場面では、サイズや被毛色などでクリアしなければならない問題も多い。

飼い主はこのサイズの牧畜犬には家畜の番以上の能力を期待した。
結果的にブービェ・デ・フランダースは外敵(獣)に対しては攻撃的で、時には家畜に対しても強い態度でのぞむ。
しかし主人や子供にはきわめて忠実であり、ウィーダはこの犬種の能力、穏やかな性格について小説「フランダースの犬」の中でたくみに描いている。

ブービェ・デ・フランダースも他の犬種と同様にヨーロッパやアメリカに渡り、ショー的な視点で評価されるようになり、洗練されて行った。
しかし現在でもベルギーの熱心なブービェ・デ・フランダースのブリーダーはこの犬種が古い時代の作業犬であった事を忘れる事はない。
彼等はブービェ・デ・フランダースの古い特性の維持を望んで作出を続けている。
ベルギー国内ではブービェ・デ・フランダースが警察犬や盲導犬、救護犬としてその能力によって賞を受ける事はあっても、ドッグショーでチャンピオンの称号を受ける事はない。
粗く硬い濃色のコートに乱れ髪のような眉毛、口髭、顎髭があり、外見は荒々しく近寄りがたい印象を受ける。
アニメや漫画に登場するパトラッシュが実際のブービェ・デ・フランダースの外貌と大きく異なる理由は、ネロやパトラッシュの友人たる少年、少女への配慮によるものと推察する。


出会い系

作者:deaiwanwan

更新日:2008年4月29日 13時18分

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出会いたいワンコ ハリア



ハリアは1頭ではなく群れを形成して獲物を追跡する事を得意とする、嗅覚ハウンドに属す猟犬である。
主としてウサギ狩りに使用されたが、訓練次第ではキツネ狩りでも能力を発揮した。
並外れた嗅覚力を備えており、条件の悪い荒れ地でも長時間追走を続けるスタミナをもっている。
ハリアがウサギを追跡する速度は、ハンターが歩いてついて行ける程度のスピードだったため、馬を所有しない労働者階級にもこの犬種は愛用された。

ハリアの犬名の由来はノルマン語の狩猟犬「harrier」からきており、ノルマン人がイギリスに連れて来たという説が有力である。
もともと「harrier」とは追跡ハウンド全体を指す語であったが、19世紀に入り当時優秀な追跡能力を示したハリアの祖先にあたる犬種に「harrier」の名称が与えられたと考えられる。

ハリアの起源については、サザン・ハウンドにグレーハウンドを交配して作出したという説があるが、他にも諸説あり、その詳細は不明である。
ハリアの外観からはブラッド・ハウンドやビーグルの祖先と密接な血縁があると言う説に説得力があるが、近年ではイングリッシュ・フォックス・ハウンドの小型のものを選択育種したものがハリアであるとする説が支持されている。
実際にハリアはイングリッシュ・フォックス・ハウンドに体形、毛色ともに酷似しており、やや小型である事を除いては両犬が混同される事が多い。
気質の点でもフォックス・ハウンドとビーグルの中間に位置すると言われる。
体高が標準を超えるものは、フォックス・ハウンドの影響が強いものとして、ハリアとして認められない。
ハリアにはフォックス・ハウンドにはないブルーの斑が現れる事がある。

この犬種の存在が歴史上明確になるのは、1260年頃のイギリス西部である。
その後の少なくとも500年間はこの地域で繁殖飼育されていたと言われ、ウェールズでは「ありふれた犬」であった。
19世紀に入り、ハリアは絶滅に近い状態となったため、フォックス・ハウンドの血統を入れて再生を果たしたいきさつがある。
イギリスにはハリアの単犬種団体が存在するため、ハリアはイギリスKCのドッグショーに出陳される事がほとんどなかった。
イギリスKCは1986年この犬種を公認犬種から削除している。
アメリカでは英国植民地時代より嗅覚ハウンドとして盛んに使用され知名度が高い。
ハリアは他犬にも友好的で集団飼育にも耐える。
近年では、猟犬としてだけでなく家庭犬としても愛されている。



出会い系

作者:deaiwanwan

更新日:2008年4月26日 12時33分

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出会いたいワンコ オーストラリアンテリア



オーストラリアン・テリアはオーストラリア大陸で初めて作出され、他の国で公認された最初の犬である。
19世紀イギリスからオーストラリアへの移住民が、多くのイギリス原産の犬種を持ち込んだ事は容易に想像できる。
オーストラリアでラフコーテッド・テリアと呼ばれていた地元のテリアと、イギリスから持ち込まれたテリア種を交配させ、進化固定されたものがオーストラリアン・テリアである。
オーストラリアの特異な気候や地形にも耐え、足が速く丈夫で豪胆、見知らぬ人物が近づくと吠えて知らせる番犬になる一方、時には愛玩犬にもなる小型犬として作出された。

この犬種に要求される望ましい特徴を強化するために、選択された多くのテリア犬種が異種交配された。
ダンディ・ディンモント・テリア、スカイ・テリア、ヨークシャー・テリア、今日のマンチェスター・テリアにつながるブラック・アンド・タン・テリア、アイリッシュ・テリア、ケアーン・テリアなどが使用されたと言われている。
当然の事ながらオーストラリアン・テリアはオーストラリアで非常に人気が高い犬種で、シルキー・テリアの祖先にあたる犬種でもある。
この犬種に期待された役割は「理想的な農家の犬」であった。
オーストラリアン・テリアは本質的に用途の広い使役犬として完成しており、聴力視力ともに優れ、丈夫で理解力があり賢い。
いかなる事変にも対応できる準備をしており、自信をもって自由に活動する。
農場ではネズミ、リス、ヘビなどを捕殺し、羊の番もした。
警戒心が強く、活動的で勇ましいテリア種の気質を備えている一方、陽気で、子供や老人にも親しみやすく、従順な良い家庭犬となる。
テリア犬種の中でも特に小型で、都市での飼育にも適している。
尾は断尾され、耳は直立している。
被毛色はブルータン、サンディー、レッドの3種類がある。
ブルーブラックの子犬が、成長に従いブルータンに変化する。
首の周りには特徴的なひだえり状の毛があり、胸の下には長い飾り毛がある。
頭頂には柔らかい絹状の長い房毛がある。耐候性の被毛はほとんど抜ける事がない。

1887年には「オーストラリア・テリア・ラフ・コーテッド」の名称でクラブがメルボルンで設立され、1896年までに犬種標準が確立された。
その後欧米に紹介され、1960年にAKCに登録された。


出会い系

作者:deaiwanwan

更新日:2008年4月24日 17時28分

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出会いたいワンコ プーリー



プーリーはハンガリーに於ける牧羊犬、家畜追い犬の代表的な犬種で、犬種名の「プーリー」はハンガリー語で「リーダー」の意。
プーリーはコモンドールと同様1000年以上前に中近東の遊牧民によってハンガリーに持ち込まれた。
コモンドールとプーリーは縄状の被毛や体形が似ているが、性質はかなり異なっている。
プーリーの方が作業意欲旺盛でテリアの気質も兼ね備えており、牧羊犬としての性能は高い。
プーリーは毛色や毛質を除けばチベタン・テリアとの類似点が多く、プーリーの始祖がチベタン・テリアであった可能性は高いと言われる。
プーリーは水中での活動を得意とし、とりわけリトリバーとしての性能が高い。
性能的にも体形的にも、プーリーがプードルの祖先にあたると言う説も信憑性が高い。
牧羊犬としてのプーリーは、群れから離れた羊を見つけると羊の背に飛び乗り、背を引っ掻いたり首筋を噛み、方向をコントロールして群れに戻すなど多才な犬である。

17世紀以降、ハンガリーでは西欧民族の流入によりフランスやドイツの牧羊犬とプーリーとの交雑が進み、プーミーが作出された。
プーリーとプーミーは長い期間区別する事なく扱われたために、結果としてプーリーが絶滅に近い状態となった。
1912年にプーリーの復元プログラムが実行され、1915年にプーリーのスタンダードが制定された。
1923年ブタペストのドッグショーで新しいプーリーが公開され、1924年に国際畜犬連盟により公認された。
1935年当時はプーリーのサイズが多様であったため、ハンガリーの犬籍簿ではサイズによって3~4つのクラスに分類された。
大型のものは主として警察犬、中型がショー用で、小型がミニプーリーとされた。
この内、中型のプーリーが愛犬家の人気を得て定着したようである。
第2次大戦の戦渦によって、ハンガリーに於けるプーリーのブリードは再び壊滅状態に至ったが、主として北米のブリーダーによって系統が守られた。

プーリーの被毛色は一般に黒が多い。
プーリーの黒色被毛は純黒ではなく、光沢が失われている。
つまり、風雨にさらされ、炎天下で酷使されたくすんだ黒が、プーリーの独特の黒とされている。
プーリーにはグレーやホワイトもある。
ホワイトなど明るい毛色は夜間の羊の警護のためには視認性が良く好都合であったが、昼間は羊との区別がつきにくいため一般には黒が好まれた。
さらに羊は明るい毛色のプーリーよりもブラックのプーリーの指示に従いやすいと言う事情もあった。

プーリーは2枚毛でアンダーコートは柔らかい羊毛状で密生している。
オーバーコートは長く、波状又は巻き毛である。
プーリーの被毛は幼犬時には房状であるが、成長に従い自然にまかせた状態ではアンダーコートがオーバーコートにもつれ込み、縄状によじれて垂れ下がる。
この被毛がプーリーの環境に対する順応性を高めており「羊の群れを守る激しい労働に適したもの」と言われ、極寒の環境でも眠る事ができる。
プーリーは賢く、活発、機敏で瞬時に方向を変える事ができる。
近年、プーリーは牧羊犬としてよりも愛情細やかな番犬、家庭犬として人気を博している。


出会い系

作者:deaiwanwan

更新日:2008年4月22日 16時59分

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出会いたいワンコ ビションフリーゼ



フランス語の「愛くるしい・巻き毛」を意味するビション・フリーゼは純白のカールしたむく毛に包まれた陽気な小型犬である。
ビション・フリーゼはもとはアフリカ北西沖カナリア諸島テネリフェ島の古い土着犬であったと言われている。
この犬種がウォーター・スパニエルの系統を引き、プードルと近縁であるとする説は信頼に値する。

14世紀にイタリア人がカナリア諸島で発見し、ヨーロッパに持ち出したのがきっかけでこの犬種が知られるようになった。
当時、新しい犬種の国際間の移動に貢献したのは船員達で、地中海沿岸諸国でとりわけ海運国で知られたスペインへの上陸は早かった。
珍しい新犬種、特に貴婦人が好む「抱き犬」は交易品としての価値が高く、物々交換にも利用され、船員の副業以上のものとなっていた。
ビション・フリーゼがアフリカ絶海のテネリフェ島の産であるとするのは、取り引き上の付加価値を増すのに好都合であったとの見方もある。

以後ヨーロッパの貴族社会で「白い抱き犬」が注目を集め、破格の高値で取り引きされた。
ビション・フリーゼは16世紀の中頃フランスで一躍人気犬種となり、小型化が進むとともに貴族、貴婦人たちが競って飼育した。
ビション・フリーゼはリボンを付けられ、当時流行の香水を含む水でシャンプーされていたと言う。
ゴヤを始めとするヨーロッパの肖像絵画に貴族や王女とともに描かれる事も多かった。
ナポレオン3世時代以降は政治体制の変化、価値観の変化とともに「愛玩犬」は庶民レベルのものとなって行き、一般家庭でも飼育されるようになった。
19世紀後半になると多くの「愛玩犬」が街の中で普通に見られる犬となった。

1933年フランスで正式にビション・フリーゼと命名され、1934年フランスのケネル・クラブが公認した。
1956年にアメリカに渡り、AKCは1973年、ノン・スポーティング犬種として公認している。

第一次大戦後の混乱期には、純粋犬種の血統があいまいとなり、ビション・フリーゼは絶滅寸前と言われたが、フランスのブリーダー有志によって正統な血統の復元が行われ、現在ではヨーロッパを中心に安定した人気を保っている。
かつてビション・フリーゼはヨーロッパの宮廷でライオン・スタイルに刈られるのが普通であった。
現在のビション・フリーゼのトリミング・スタイルは近年になってアメリカ人のトリマーが考案したもので「パウダー・パフ」と呼ばれる。
この独特のカットの功績によってビション・フリーゼが注目されるようになり、世界的に認知されるようになった。

ビション・フリーゼが我が国に紹介されたのはさらに近年になってからである。 この時期は日本ではマルチーズの全盛時代で、「パウダー・パフ」に注目が集 まったものの、マルチーズと同タイプであるビション・フリーゼが特別に普及する事はなかった。
サイズではマルチーズよりやや大きく、被毛はマルチーズほど長くない。 飾り毛のある垂れ耳で、高く尾を背負い、いたって陽気、活気に満ちた小型犬である。


出会い系

作者:deaiwanwan

更新日:2008年4月21日 17時7分

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出会いたいワンコ オーストラリアンキャトルドッグ



オーストラリアン・キャトルドッグは19世紀の中頃、イギリスからオーストラリアに持ち込まれた牧羊犬を改良して作出された。
オーストラリアの主産業である牧畜に最も適す犬を作出する目的で多くの犬種と野生種が交配された事が背景にある。
牛を管理する能力を有する使役犬をヒーラーと呼ぶが、オーストラリアン・キャトルドッグこそまさしくこの目的のために作出された犬種である。

オーストラリアが植民地となった頃は比較的小規模な牧畜が人間の居住地(現在のシドニー付近)に近い所で行われており、牛は人や犬にも慣れており、入植者達は本国から連れて来た牧畜犬で一応の作業をこなす事ができた。
やがて牧畜規模の拡大とともに西部の広大な地域が放牧のために開拓され、想定していなかった牛の半野生化という事態に直面する。
ヒーラーは牛を寄せ集め、移動させる作業がこなせなければならないが、ヨーロッパ由来の牧畜犬では半野生の牛を制御するのは困難であった。
さらにオーストラリアでは牛の出荷に際して極めて遠距離の牛の誘導が必要で、ヒーラーには過酷な労働条件に耐え得る強靭な体力と不屈の精神力が求められた。
イギリスではかつてブルー・ヒーラー(絶滅種)と言う犬種が牛を船に積み込む際の追い立て役として使われていたが、オーストラリアン・キャトルドッグはブルー・ヒーラーの再現を意図して開拓者によって作出されるのである。
オーストラリア大陸で通用するブルー・ヒーラーに匹敵する牛追い犬の完成が課題であった。

オーストラリアン・キャトルドッグはスコットランドから輸入されたブルーマールの短毛ハイランド・コリーに野生犬ディンゴ、オーストラリアン・ケルピー、ダルメシアン、ブルテリアなどを異種交配して作出された。
特に野生犬ディンゴとの交配によるこの犬種特有の資質がオーストラリアの食肉産業の発展に大きく貢献したとする説は決して大げさではない。

牛の大集団の誘導はオーストラリアン・キャトルドッグにとっても危険な作業で、牛の進路から反射的に離れ、かつ制御する技術が必要であった。
低く身を伏せて危険を回避する能力は野生犬ディンゴ譲りのものである。
地中に穴を掘っての出産や、離乳が早い事もディンゴから受け継いだこの犬種の特徴となっている。
吠えずに作業をこなす事でも知られている。
オーストラリアン・キャトルドッグはディンゴの体力と、ハイランド・コリーの知恵、ダルメシアンの忠誠心の集大成である。
体全体が筋肉質で骨量豊か、よく均整がとれ、機敏な動作が頼もしい忍耐力に優れた犬種である。
オーストラリアン・ケルピーが牧羊犬であるのに対し、オーストラリアン・キャトルドッグは牛の管理が主任務であり、地域によってクイーンズランド・ヒーラー、オーストラリアン・ヒーラーなどの呼び名を持っていた。
中でもブルーの毛色のものはブルー・ヒーラーの再来と言われ人気を博した。

オーストラリアン・キャトルドッグの被毛色にはブルーマール・コリーの影響が強く残っている。
ダルメシアンの影響として出生時には白に近い色の個体もあり、成長に伴って毛色が明確になって行く。
忠誠心の強い犬種であるが警戒心が強く行動的な犬種であるため、家庭犬としての飼育に際しては攻撃的とも思われかねない性質を持っている。
幼犬時からの服従トレーニングが必須である。


出会い系

作者:deaiwanwan

更新日:2008年4月18日 17時20分

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出会いたいワンコ ラサ・アプソ



ラサは神秘の国チベットの首都で、インド国境を北に越えた山岳地帯である。アプソは黄金色の被毛を持つ山羊の意。
この犬がこの国の山羊に似た被毛を持つ事により、ラア・アプソと呼ばれる。
ラサ・アプソはチベットではアプソ・セン・カイと呼ばれており「吠えるライ オン」と言う意味のチベット語に由来すると言う説もあリ定かではない。

ラサ・アプソは2000年の歴史を持つ古い犬種で、人の死後「魂が宿る犬」と信じられ、ラマ教の僧侶の庇護を受けて飼育されていた。
数世紀にわたり高僧や貴族が独占して飼育し、信仰の対象として宗教儀式にも参加させ、門外不出の犬として扱って来た。

門外不出の犬が門を出る時、つまり外国への献上などの場合には、複製を防止する目的で雄犬に限られていた。
ラサ・アプソは中国の朝廷へ雄犬が献上された事があり、この犬がシーズーやペキニーズの祖先犬になったと考えられている。
ラサ・アプソは現在でも幸福をもたらす(魔除け)犬と信じられている。
ラサ・アプソがヨーロッパに渡ったのは20世紀に入ってからで、ロンドンのドッグショーでは「東洋の魔除け犬」として紹介された。
海外への普及過程でチベタン・テリアやシーズーと混同された経緯があり、シーズーとの混血も行われた事から被毛色にも混乱があり、高度に固定された犬種とは言い難い。
真のラサ・アプソは現在でもチベットでしか見られないとも言われる。
KCは1933年、AKCは1935年に公認している。

ラサ・アプソはチベット原産のチベタン・テリア、チベタン・スパニエルと共通した厚い被毛を持ち、飾り毛豊かな尾を背負っているのが特徴である。
硬く長い上毛と密生した下毛はこの地域の山羊とともに、山岳地の寒冷気象に適応したものである。

ラサ・アプソは聴覚がきわめて鋭く、遠くから知人と他人を見分ける能力に秀でている。
鋭い聴覚によって雪崩の予知も可能と言われ、現在でも雪山の登山に連れて行く慣わしがある。
チベット原産の犬に共通する性格として、主人に忠実で情愛深いが他人に対しては警戒心が強い事が挙げられる。
日本では問題行動とされがちな、警戒心が強くよく吠えると言うラサ・アプソの特質は往時のチベットでは長所とされていたのである。

欧米の愛玩犬の成り立ちとは異なった歴史をもつ事がラサ・アプソの気質に大きく影響しており、長毛小型のこの犬種がトイ・グループに分類されない理由と考えてよい。
現在でもラサ・アプソの愛好者は警戒心に基づくこの犬種の特質を容認しており、「無駄には吠えない」と応じている。
チベタン・テリアよりは小型で、白色被毛のものはマルチーズに似ている。



出会い系

作者:deaiwanwan

更新日:2008年4月17日 17時12分

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出会いたいワンコ ロットワイラー



ロットワイラーの祖先は、古代ローマ軍が現在のドイツに侵攻する際に同行した古い犬種と言われている。
いつの時代も軍の遠征には膨大な装備が必要で、特に兵士の食糧の補給は重要な課題であった。
冷凍技術の無い時代には、食肉は生きたまま輸送する必要があった。
ロットワイラーの祖先とされる犬は兵士の食糧となる家畜の追い犬として、軍の遠征に同行し、夜間は番犬としても役立ったのである。
ローマから中欧への進軍はアルプス越えが最も近い。
過酷な気候条件の中、ロットワイラーの活躍によって進軍が可能となったなどの逸話が多く残っている。
ロットワイラーは以後ドイツに定着して、牧羊犬、牧畜犬としても改良され、その能力を発揮した。

後年、古代ローマ軍が占拠していた地域の住居跡から赤いタイルの堆積が発掘された。
南ドイツのこの地方は、赤いタイル「ロット・ワイル」地方と呼ばれるようになり、ロットワイラーの犬種名はこれに由来すると言う。
地形に恵まれたロット・ワイル地方は交易の要衝と化し、家畜商人の多くもこの地に住んだ。
その結果、この地域で家畜移送のためのロットワイラーの需要が高まり、牛を市場まで追い立てる際には不可欠の犬となって行った。
ロットワイラーは主として家畜業者によって飼育されて来たために「肉屋の犬」と呼ばれていた。

19世紀の終わりになるとドイツは交通の妨げになる、犬による家畜の移送(追い立て)を禁止した。
ロットワイラーの仕事は鉄道や車両に奪われる事となり、ロットワイラーの存在が危ぶまれるようになる。
実際、この地方でロットワイラーの数は激減し犬種存亡の危機を迎えた。

近年、ロットワイラーは篤志家によって再現され、現在では世界中にファンも多い。
ロットワイラーはその優れた防護能力の故に「護身犬」としての知名度が先行し、薬物密売業者や犯罪者が好んで飼育した一時期があり、これらの用途に向けるためのトレーニング方法も伝承されたりした。
この犬種の高い知能と強い防衛本能が悪用された例と言える。
被毛色や顔貌、感情を表現しやすい特質など、いずれもが護衛犬のイメージに直結していると言える。

ロットワイラーはドーベルマンの作出に大きく貢献した犬としても知られる。
ドーベルマンに比べ首が太くたくましいのが特徴で重々しい印象を受ける。
ロットワイラーが過去も今日も高い評価を維持しているのは、ローマ時代から脈々と継承されるマスティフ系犬種に共通する特性によるものである。
近寄り難い印象は受けるが、家庭犬として飼育する場合に決して危険な犬ではない。
現在では有能で意思堅固な番犬としての人気が高い。
一般にロットワイラーの尾は第1尾椎を残して断尾される。


出会い系

作者:deaiwanwan

更新日:2008年4月16日 17時0分

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出会いたいワンコ ハバニーズ



ハバニーズはキューバ原産の唯一の犬種で、キューバの国犬となっている。
犬名はキューバの首都ハバナに由来する。
かつてはハバナシルクドッグ、スパニッシュシルクプードルという名前で呼ばれた事もあった。
イギリスではビション・ハバネロという名称で呼ばれる事もある。
ハバニーズの始祖犬はビション・フリーゼと同じ系統であると考えられ、改良の過程でマルチーズやプードルの混血も行われた。
ハバニーズの始祖犬となった犬がキューバに渡った経緯は定かではないが、16世紀前半に、スペインのカナリア諸島テネリフェ島からキューバに着いた貿易船に乗っていた犬が、キューバの上流階級の人々に渡ったと言う説が最も有力である。
キューバはスペインの植民地であったが、主要産物である砂糖の生産を独占していた上流階級の人々は特権的な生活をしていたようだ。
キューバはスペイン以外との交易を厳しく制限されていたため、結果的にハバニーズは閉鎖的な環境で繁殖される事になり、現在のハバニーズに発展したと考えられている。

当時のキューバではハバニーズが市場で売買される事はなく、上流社会で贈り物として譲渡されたので、庶民が手に入れることは不可能であった。
やがてハバニーズはヨーロッパに渡り、人気が高まる。
18世紀中頃のヨーローッパでは、ハバニーズがしばしばドッグショーに出陳され、王族や貴族にも飼育された。

20世紀に起きたキューバ革命とともにハバニーズは上流階級の人々の愛玩犬から庶民のペットに変わって行く。
二度の世界大戦の結果ハバニーズは他の犬種と同様に絶滅の危機を迎えた。
ヨーロッパはもちろん、原産国のキューバでも生き残ったものはほとんどいなかったと言われている。
今日アメリカで見られるハバニーズのほとんどはキューバ革命でアメリカに亡命した人々が連れて行った11匹のハバニーズの子孫だとされている。
歴史に翻弄されたハバニーズは、1999年142番目の犬種としてAKCに公認された。

ハバニーズの特徴的な被毛は、キューバの亜熱帯性気候の厳しい暑さから身を守るために適したものである。
強い太陽光線から眼を保護するために、伝統的に頭上の被毛を整える習慣がな い。


出会い系

作者:deaiwanwan

更新日:2008年4月15日 17時20分

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出会いたいワンコ ローシェン



ローシェンとはドイツ語で小さなライオンという意味であり、ローシェンをリトル・ライオン・ドッグと呼ぶ事もある。
胴の中央から後ろを短く刈り込み、肩から胸部にたてがみを残す独特のライオン型クリップスタイルからローシェンと呼ばれるようになった。
一見するとプードルに似ているが、プードルよりも口吻が短く、頭の幅が広く、目が大きい。
被毛もプードルとは異なり、長いシルキーコートである。

ローシェンの原産国については諸説あるが、フランス(南ヨーロッパ)とされていた時代を経て現在ではドイツ説が有力である。
15世紀ヨーロッパの絵画や版画にローシェンが描かれており、少なくとも400年前には現在と変わらないライオンクリップの外貌をもつローシェンが存在していた事が分かる。
16世紀にはローシェンは足温犬として人気があったらしい。
ローシェンがライオンクリップされるようになった由来は定かではないものの、宮廷の女性が冷え切った足を暖めるため、被毛を刈ったローシェンを自分のベッドに入れた事がきっかけという説がある。

ルネッサンス期にはライオンは「勇気」を象徴する動物であった。
戦争で命を落とした騎士の足元にはライオンの像を入れて葬ったと言われる。
一方、病死した騎士の足元にはローシェンの像を葬ったという説もある。

ローシェンは19世紀に絶滅状態に陥ったが、ベルギーのブリーダーが根気強く保存に努め、絶滅の危機を脱した。
1968年にイギリスに渡り、1971年にはイギリスから3頭のローシェンがアメリカに輸出された。
AKCは1999年に143番目の犬種としてローシェンを公認した。



出会い系

作者:deaiwanwan

更新日:2008年4月14日 17時12分

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出会いたいワンコ オーストラリアン・キャトルドッグ



オーストラリアン・キャトルドッグは19世紀の中頃、イギリスからオーストラリアに持ち込まれた牧羊犬を改良して作出された。
オーストラリアの主産業である牧畜に最も適す犬を作出する目的で多くの犬種と野生種が交配された事が背景にある。
牛を管理する能力を有する使役犬をヒーラーと呼ぶが、オーストラリアン・キャトルドッグこそまさしくこの目的のために作出された犬種である。

オーストラリアが植民地となった頃は比較的小規模な牧畜が人間の居住地(現在のシドニー付近)に近い所で行われており、牛は人や犬にも慣れており、入植者達は本国から連れて来た牧畜犬で一応の作業をこなす事ができた。
やがて牧畜規模の拡大とともに西部の広大な地域が放牧のために開拓され、想定していなかった牛の半野生化という事態に直面する。
ヒーラーは牛を寄せ集め、移動させる作業がこなせなければならないが、ヨーロッパ由来の牧畜犬では半野生の牛を制御するのは困難であった。
さらにオーストラリアでは牛の出荷に際して極めて遠距離の牛の誘導が必要で、ヒーラーには過酷な労働条件に耐え得る強靭な体力と不屈の精神力が求められた。
イギリスではかつてブルー・ヒーラー(絶滅種)と言う犬種が牛を船に積み込む際の追い立て役として使われていたが、オーストラリアン・キャトルドッグはブルー・ヒーラーの再現を意図して開拓者によって作出されるのである。
オーストラリア大陸で通用するブルー・ヒーラーに匹敵する牛追い犬の完成が課題であった。

オーストラリアン・キャトルドッグはスコットランドから輸入されたブルーマールの短毛ハイランド・コリーに野生犬ディンゴ、オーストラリアン・ケルピー、ダルメシアン、ブルテリアなどを異種交配して作出された。
特に野生犬ディンゴとの交配によるこの犬種特有の資質がオーストラリアの食肉産業の発展に大きく貢献したとする説は決して大げさではない。

牛の大集団の誘導はオーストラリアン・キャトルドッグにとっても危険な作業で、牛の進路から反射的に離れ、かつ制御する技術が必要であった。
低く身を伏せて危険を回避する能力は野生犬ディンゴ譲りのものである。
地中に穴を掘っての出産や、離乳が早い事もディンゴから受け継いだこの犬種の特徴となっている。
吠えずに作業をこなす事でも知られている。
オーストラリアン・キャトルドッグはディンゴの体力と、ハイランド・コリーの知恵、ダルメシアンの忠誠心の集大成である。
体全体が筋肉質で骨量豊か、よく均整がとれ、機敏な動作が頼もしい忍耐力に優れた犬種である。
オーストラリアン・ケルピーが牧羊犬であるのに対し、オーストラリアン・キャトルドッグは牛の管理が主任務であり、地域によってクイーンズランド・ヒーラー、オーストラリアン・ヒーラーなどの呼び名を持っていた。
中でもブルーの毛色のものはブルー・ヒーラーの再来と言われ人気を博した。

オーストラリアン・キャトルドッグの被毛色にはブルーマール・コリーの影響が強く残っている。
ダルメシアンの影響として出生時には白に近い色の個体もあり、成長に伴って毛色が明確になって行く。
忠誠心の強い犬種であるが警戒心が強く行動的な犬種であるため、家庭犬としての飼育に際しては攻撃的とも思われかねない性質を持っている。
幼犬時からの服従トレーニングが必須である。



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作者:deaiwanwan

更新日:2008年4月11日 16時54分

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出会いたいワンコ アッフェン・ピンシャー



アッフェン・ピンシャーは非常に古い犬種で、ドイツのミュンヘン周辺が発祥の地とされるが祖先についての詳細は明らかではない。
もともとはキツネやウサギなど小害獣の駆除用に作出された猟犬であったが、サイズが小型で愛嬌があるため徐々に家庭の住人へと変化し、家庭内のネズミを退治する役目が与えられたものと考えられる。

アッフェン・ピンシャーは形態的にはベルギーのグリフォンとの類似点が多く、互いに血縁がある事は疑う余地がないようだが、どちらが先祖なのかは特定しがたい。
古いベルギーの絵画やドイツの木版画などにもアッフェン・ピンシャーともグリフォンとも判定し難い犬が登場する。
現状ではアッフェン・ピンシャーはグリフォンの子孫であるとする説と、逆にアッフェン・ピンシャーがブリュッセル・グリフォンやミニチュア・シュナウザーなどに影響を与えたとする説が混在しているが、後の説がやや有力となっている。

アッフェン・ピンシャーは愛玩犬の中では特異な顔貌をしており「滑稽」の語があてはまり、これがこの犬種の魅力であって、ひと目見れば忘れ難い印象を受ける犬である。
ドイツ語でアッフェンは「サル」、ピンシャーは「テリア」を表わす。
アッフェン・ピンシャーが他の長毛小型犬と異なる点は、テリアのように硬い毛質、豊かな飾り毛、眉の上のブラシ状の被毛、口吻の上下の長い髭、黒いアイラインと大きく鋭い目で、これらの特徴によって「サル」が連想されるようである。
アッフェン・ピンシャーはもともと断耳、断尾されるのが普通であったが、断耳されない犬が増えた事もあって、その風貌はますます「サル」に近くなっていくようだ。
アッフェン・ピンシャーはフランスでは「ヒゲの生えた小僧」の愛称で呼ばれ、英語圏では「モンキーテリア」とも呼ばれる。
アッフェン・ピンシャーが始めて欧米に紹介された頃には本当に猿と犬の混血だと言われた事もあるらしい。

アッフェン・ピンシャーがヨーロッパ各国に紹介されたのは17世紀以降である。
ドイツでの公認が1879年、諸国で愛玩犬として注目されるのは1900年以降で、AKCの公認が1936年である。
19世紀の後半にはヨーロッパを中心に貴婦人の愛玩犬として、突出して人気を得た歴史がある。
近年、アッフェン・ピンシャーは祖国ドイツでの飼育数が減少しており、北米地域で人気が高い。

アッフェン・ピンシャーはきわめて陽気、遊び好きで「玩具を必要とする愛玩犬」とも称される。
頑丈な骨格を持ち、引き締まって均整のとれた体形で飼い主に忠実、愛情深く大胆な犬種である。


出会い系

作者:deaiwanwan

更新日:2008年4月10日 17時16分

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出会いたいワンコ サセックススパニエル



イギリス東南部のサセックス州のブリーダーによって作出された犬種で、地名が犬名となっている。
サセックス・スパニエルは18世紀頃から地元の山岳地帯で鳥猟に使用されていた。
スプリンガーやコッカーのようなスピードはないが、きわめて鋭敏な嗅覚をもつ優秀なハンターで快活で親しみやすい。

この地方は、獲物となる鳥が豊富に生息しており、ハンターは徒歩によって猟を行うのが普通であった。
サセックス・スパニエルの猟性能はまさしく、この地の猟に向いたものであり、必要に応じてリトリバーの役も引き受けるこの犬は地元の猟師に重宝がられていた。
短足であるためスピードは遅いが忍耐強く、樹木の密生した地域での猟に向くと言われる。
鳥類だけではなく、小型獣の猟にも有能な犬種で、薮の中の小動物の追跡ではサセックス・スパニエルに勝るものはないと言われている。

サセックス・スパニエルは他のスパニエルと異なり、追跡に際してよく吠える「追い鳴き」の習性がある。
状況によっては獲物を逃してしまう事になるが、見通しのきかない場所の猟では、ハンターが獲物の方角を知る上で有利だと言われる。
ベテランのハンターはサセックス・スパニエルの「追い鳴き」の音色と調子によって、獲物の種類やサイズ、獲物までの距離も分かると言われている。

ずんぐりとした体形と薮や下草から身を守る密生した被毛に覆われているため、高温多湿の環境には適さない犬種である。
サセックス・スパニエルの被毛色はリッチ・ゴールデン・レバーと呼ばれるこの犬種独特のもので、この色彩がこの犬種の純粋性を証明し得るとまで言われている。

19世紀に入ると、イギリス国内の同様の地形の猟場でサセックス・スパニエルの知名度は高まって行った。
サセックス・スパニエルがアメリカなど海外で普及しなかった理由として、徒歩による狩りの友として培われたスピードの問題があり、環境の異なる土地での猟には適さなかったものと思われる。
だからと言ってサセックス・スパニエルは「山岳銃猟の万能犬」と言う名誉ある地位を他犬に譲り渡す事はない。
サセックス・スパニエルは19世紀の鳥猟犬のキャラクターとスタイルを現代に伝える貴重なスパニエルである。
サセックス・スパニエルはアメリカAKC結成時に公認された最初の10犬種のひとつであったが、その後登録頭数は増えていない。
原産国のイギリスでもポピュラーな犬ではない。


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作者:deaiwanwan

更新日:2008年4月9日 16時58分

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出会いたいワンコ ワイマラナー



ドイツ帝国時代にワイマール地方の貴族が独占的に飼育していた犬として知られている。
この犬種の起源は17世紀とされているが、謎の部分が多く、明確な系統は不明である。
フランスのサン・ルイの灰色犬が始祖であるとする説もある。
19世紀に入り、一定のタイプと資質を備えた個体の選択交配が進められ、現在のスタンダードが確立された。
ジャーマン・ショートヘアー・ポインター、ブラッド・ハウンド等と近縁であると考えられている。
初期には、ワイマール・ポインターと呼ばれており、ポインターの一種として知られていた。
特別な犬種として確立される事になったのは、おそらく特異な被毛色によるものであろう。
体形はジャーマン・ショートヘアー・ポインターに近く、ブラッド・ハウンドの血を引くため鳥猟、獣猟ともに狩猟上手の万能犬である。
琥珀色の明るい目と光沢のある灰色(スチールカラー)の被毛が特徴で、貴族的な品格を備えた犬種である。
米国では「灰色の精霊」と呼ばれ人気が高い。
この犬種は鳥猟に於けるリトリーブ以外に、獣猟では大型の獲物が倒れている場所へ主人を案内する事で知られる。
我が国には第2次世界大戦以後に移入されている。
高度な服従性能を持つことから、近年は家庭犬、伴侶犬としての人気が先行している。
ワイマラナーが門外不出の犬と言われ、海外への普及が遅れたのは、ドイツ国内で結成されたこの犬種のためのクラブの規定によるものであった。
この犬種の売買はクラブの会員どおしのみに認められていた事、クラブへの入会資格がきわめて厳しいものであった事があげられる。
つまり、ドイツ国内でもこの犬種の入手は困難であり、海外への流出は考えられないものであった。
実際ワイマラナーが米国に渡ったのは、米国の狩猟家がドイツ・ワイマラナークラブの会員となり、2頭のワイマラナーを本国に連れ帰る事が許可された結果であった。
米国に渡ったワイマラナーもドイツのクラブのルールに準じて手厚く保護され、厳格な選抜交配が行われた。
米国産ワイマラナーはその後、フィールド・トライアル、オビーディエンス・トライアルで目覚ましい記録を打ち立て、米国内でも「特別な犬」としての地位を築いて行った。
昨今では猟野を離れ、人間の生活域に同化した、最も都会に似合う犬となっている。
ワイマラナーにはロングコートのものが存在する。
ワイマラナーの先祖犬となったスパニエル種に由来するものと思われる。
ロングコートのワイマラナーは断尾されない。



出会い系

作者:deaiwanwan

更新日:2008年4月7日 17時12分

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出会いたいワンコ ビズラ



1000年以上も前、中央アジアの遊牧民マジャール民族が現在のハンガリーに定住したとされる頃、彼等が野鳥や小動物のハンターとして飼育していた土着犬種がビズラの始祖犬と考えられる。
古いタイプのハウンド種とトルコの黄色被毛の犬種の混血種であるとの説が有力である。
後にイギリス、ドイツのポインターの影響を受け洗練され、ハンガリアン・ポインター、イエロー・ポインターと呼ばれるようになった。
イギリスではハンガリアン・ビズラが正式名。
ハンガリーは中部ヨーロッパの穀倉地帯で、必然的に鳥類、小動物の狩猟が盛んとなり、これに適した猟犬が飼育されて来た。
一般に農業国では、猟は害獣の駆除や食糧調達を目的とした作業であり、スポーツではない。
ビズラはポインター類の中では小型で、起伏の少ない農業、牧畜地帯での猟に適しており、リトリーブ作業も兼務する有能な働き手として長期にわたり、役立って来た。
自然か、意図的か、この犬種を積極的に「改良」する動きもなく、結果的に、古いタイプの犬が体形や性能をほとんど変化させることなく現代に受け継がれることになった。
ビズラがハンガリー唯一の鳥猟犬として今日まで存続した背景を考える時、同国の地形による影響は大きい。
ハンガリーの国土は多くが平原で、農業、牧畜が盛んで、特に穀物栽培に適している。
これらの地域には季節ごとに多品種の鳥類が集まり、ウサギなどの小動物も大量発生する。
このような地で求められる猟犬は、忍耐強い走力と優れた嗅覚、獲物に気付かれず近付く注意深さである。
ビズラはこれらの作業に一級の能力を発揮し、加えて主人に忠実、かつ良き家庭犬でもあった。
ハンガリーの国事情から、第一次大戦の終わり頃にはビズラは絶滅寸前にまで数が減っていたが厚志家により細々と繁殖が続けられた。
その後1945年、ロシアの侵攻を受けたハンガリーは、ビズラをドイツ、オーストリア、イタリア、チェコ、トルコなどヨーロッパの国々に避難させている。
米国への輸出は1950年代の記録がある。
これ以後、ハンガリーを代表する当犬種は主として国外で育種が続けられることになる。



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作者:deaiwanwan

更新日:2008年4月5日 17時11分

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