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トップ > フレンチ・ブルドッグ > フレンチ・ブルドッグ - 人気ブログ(Blog)検索結果詳細 (2008年8月30日 1時)

良い犬?悪い犬?

さて、今回もまた、私「ゴル男」が担当させていただく。 題して「良い犬?悪い犬?」である。 まあ、実際にはどんなことを基準に「犬の良し悪し」を決めるのかは我々にはさっぱり分からない。 例えば「ショードッグのチャンピョン犬」」とか「訓練競技会で優秀な成績を得た犬」なら分かるのだが、ただ良い犬と言われても想像がつかないのだ。 特に我々「家庭犬」と言われる仲間に至っては、基準など無いに等しい。 当然に「本」では「人間社会のルールを理解していること」などと書かれているようだが、これとて怪しいものだ。 間違いなく飼い主さんによって我々に伝えるルールが異なっている。 ドッグランとかでも他の仔を組み伏せる姿を見るのが好き、などという飼い主がいると聞いたことさえある。 私自身、もちろんそんな恐ろしい場所に行きたくもないが、そんな「家庭犬」に「力」を求める人もいる場所とは一体どんな所なのだろうか。 通常、我々は「飼い主さんの家」に迎えられる前、生まれて2ヶ月3ヶ月の間に「犬の社会化」をする。 つまり、犬としての知識を母犬や兄弟犬との生活の中で学ぶのである。 ここで「犬同士の遊び方」や「抑制された噛み付き」を覚える「筈」である。 我々「イエイヌ」には「平和主義者」が多い。 基本的に争いは好まないのだ。 争いを避けるための警告として唸ったりするし、犬同士の上下関係を見極められれば服従もする。 遊びの中で「喧嘩ごっこ」もするし、「噛みあったり」もするが、これとても抑制された行動であり、決して「本気」ではない。 「本気」ではないのだが、「怪我」をすることもあるし、「本気」になってしまうこともある。 特に「犬の社会化」が不十分だったりすると、どうやって遊ぶのかとか噛んでも良い程度が分からなかったりして、「本気」になってしまう場合もある。 これまで我が飼い主♂が繰り返し書いてきた通りである。 残念ながら、我が仲間のフレンチ・ブルドッグには社会化が不十分な仔がいる。 目線を合わせたまま外さないとかの仔も多く、結果的に「挑戦的な態度」と見なされ「闘争」につながることも多い。 ただし、このような仔でも決して「気が強くて支配的な性格」とは言えない。 犬同士の挨拶の仕方とかマナーを「知らないこと」が多いのだ。 そしてそれを繰り返してしまうことによって「攻撃的な仔」というイメージが定着してしまう。 でも、このこと一つを取り上げて「悪い仔」とは言えないと思う。 たとえ、犬付合いが下手でも、皆、家庭では「良い仔」なのである。 これは私の全く想像であり、科学的な根拠など全くないのだが、もしも飼い主さんが愛犬に常に自分と長い時間のアイコンタクトを求めていたとしよう。 そしてそれに応えて「目線を外さないこと」を「良し」と教えられ、育てられていた場合、愛犬がこれを犬社会に持ち込んで、他の犬にも同じようにしていたら・・・ 恐らくそんなことはないと思うが、可能性が全くないとは言えないと思うのだがどうだろうか? こう考えて来ると、本当に「良い家庭犬」とは一体どんな仔を言うのだろうか? 私は「飼い主さんの考え方次第」だと思っている。 飼い主さんが「良い家庭犬」だと思えば、「良い家庭犬」なのである。 そしてその飼い主さんが人としての社会性をしっかりと身につけている方ならば、多分、愛犬は世間でも「良い家庭犬」と言われると思う。 何も出来なくとも「良い家庭犬」はいるし、素晴らしい「芸」が出来ても「問題のある家庭犬」もいる。 やっぱり、飼い主さん次第になるのだろう。 稀に「犬とも人とも社会化が不可能」に近い、という仔もいるようであるが、私自身はそのような仔に出会ったことなどない。 そのような特殊なケースを除けば、全ての仔が「良い家庭犬」になれると思う。 程度の差はあると思うが、飼い主さんの一貫して継続した努力は必ず報われると思って間違いないだろう。 皆さんの愛犬は「良い家庭犬」と呼ばれているのだろうか? 我が家の場合、αは常に私に優しいし、私を「良い仔」と思ってくれている。 このことには「自信がある」 ただ、我が飼い主♂の場合、奴に問題があるのでどうなのだろうか・・・ 私を正しく評価しているのか疑問である。 まあ、これからも私「ゴル男」が奴を教育するしかないのだろう・・・ 一貫性とたゆまぬ努力が必要になると思うが頑張るつもりである。 なんせ、我が飼い主♂は「犬とも人とも社会化」が成功していないのだから! 私は、皆さんの愛犬が私と同じような想いを抱いていないことを祈る。 さて、今回は、これで終わります。 次回、機会があれば、また、何かお役に立てるようなことを書くつもりなのでよろしく! ということで、次回もまた、乞う、ご期待!

作者: フレンチブルドッグのゴル男

更新日:2008年8月26日 19時0分

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目は口ほどにものを言う!

さて、今回もまた、私「ゴル男」が担当させていただく。 題して「目は口ほどにものを言う」である。 またまた前回の「言葉を理解する犬」の話であるが、実は、そんなに多くの「言葉」を理解出来る仔でも飼い主の姿が見えない場合には、正確に理解することが出来なかった場合もあったそうである。 ただし、これは「複数の要素」を含んだ場合に限定されたそうだ。 例えば「椅子に近づいて、乗りなさい」といった場合である。 この際、飼い主が意図的に「机」を見ながら、同じことを言うと、椅子ではなく、机の上に乗ったそうである。 つまり、飼い主の「視線」が正しい行動を決定付ける大きな要素になっていたのだ。 そうは言っても、我々「犬」が相当数の「言葉」を理解出来ることに変わりはない。 人との暮らしの中で、飼い主からの「言葉」とその「視線」から多くのことが出来る、ということは素晴らしい能力と賞賛されて良いと思う。 実際、それほど多くの「言葉」が理解出来なくとも、普通、家族として一緒に暮らしていれば、家族の呼び名とか日常生活で多く使われる言葉は直ぐに理解出来るようになる。 それは、飼い主が我々「犬」に「教えること」を全く意識していなくても、日常生活の中でかなりの頻度で「使っている」からである。 我が家の場合、私を除けば飼い主夫婦以外に人はいないので、あまり多くはないのだが、我が飼い主♂はαのことを「お母さん」と呼び、αは奴のことを「お父さん」と呼ぶ。 そして呼び掛けた側の視線の先には必ず「相手」がいる。 このことから私は「人の社会」では序列第1位の存在を「お母さん」と言い、第二位の存在を「お父さん」と言うのだということを学んだ。 若干の誤解はあるかも知れないが、ほぼ正しい解釈であろう。 また、お互いの呼び掛けの際に「ねえ」とか「ちょっと」とか言う場合もあるが、この場合、その「言葉」には特段の意味はないようである。 多くの「犬」が飼い主の注意を自分に向けたいときに「ワン」と一声吠えるのと変わらないと思う。 その「呼びかけ」に続いて必ず「行動や物」を表す「言葉」が続く。 その中で私にも影響のある「言葉」は何となく分かるようになってきた。 私の場合、特に食べ物を表す言葉には敏感である。 また、先ほど書いたように、我が家の場合、我が飼い主♂とαは常に近くにいるので、お互いを呼び合ってから「会話」が始まることは少ない。 「視線」を合わせた所から「会話」が始まる。 つい先日も夕食時にこんなことがあった。 α「私の言うこと全然聞いてないでしょ!大体、私のことを全然見ていないじゃない」 ♂「ちゃんと聞いてますよ」 α「じゃあ、新聞読むの止めてよ!新聞がないとご飯が食べれないの?」 ♂「そんなことありませんよ。分かりました。」 α「本当にお父さんって嫌だね!ねえ、ゴル」 どうやら、人間同士の会話も「視線を合わせる」=「アイコンタクト」が重要なようである。 視線を合わせない「返事」は「正しい返事」としては認められないようだ。 我が飼い主♂は自分からの私に対する呼び掛けには必ず私からのアイコンタクトを求める。 それにも関わらずαからの呼び掛けに対してアイコンタクトをもって応えることが少ない。 αに家から追放される前にもっと自分の日常生活を反省してもらいたい。 話を戻そう。 さらに注意深く観察すると、この「アイコンタクト」はずっと見詰め合うことを必要としてはいないようだ。 言わば先方の呼び掛けに対する「返事」=「了解」という合図として、お互いの視線を合わせている。 さらに「人の社会」で「視線を合わせ続けること」は少なく、仮に視線を合わせ続ける場合の意味も概ね二つに分かれ「愛情・友情」か「敵対心」といった特殊な感情を表現しているようだ。 分かり易く表現するならば「愛する二人が見詰め合う」か「敵対する二人が睨みあう」かである。 そんなケースを除けば「人」もお互いが視線を合わせ続けることはない。 見知らぬ人を見続けた場合、その結果、不利益を被ることはあっても、何の利益も生じないようだ。 普通「愛する二人」=「異性同士」に限られる。 つまり、友人同士を除けば、同性同士が視線を合わせ続ける場合、お互いの「敵対心」を表現していると解釈するのが妥当かつ安全と言える。 その辺の解釈を飼い主さんが我々の行動にも広げてくれれば、無益な争いを避けることは十分に可能である。 つまり同性の犬同士がお互いを見詰め合うことにあまり良い結果は望めないと解釈すべきなのだが、これすら理解していない飼い主さんも多い。 安全第一を目指すならば、是非、覚えておいて欲しい。 もちろん、何も起きないこともあるし、一緒に楽しく遊び始めることだってある。 しかし、この辺の愛犬の感情の違いを飼い主さんが理解出来ないことが多い。 だから、無意味な争いが起きてしまうのだし、実際、私も散歩途中で嫌な経験をかなりしている。 さて、ここで、我々「犬」と飼い主さん「人」との関係に話を戻そう。 飼い主さんの中には愛犬に対して必死に「アイコンタクト」を求め続ける方がいる。 そして愛犬が顔を背けると「叱る」などという方までいるようだ。 全くその場の愛犬の気持ちを理解出来ていないのだ。 我々「犬」は基本的に平和主義者である。 相手を見続けることで「挑戦的」と受け取られることを恐れるのである。 だから、視線をそらすのである。 何故、これを理解してくれないのだろうか。 我が飼い主♂も私を見続けることがある、とう言うよりも「睨み続ける」のだが・・・。 この場合、奴は私を本気で叱っていて、私が視線をそらすことを許さない。 つまり、この場合奴は私に「罰」を与えているのだ。 だから、私は日常生活の中で奴の呼び掛けに対する返事としての「アイコンタクト」は求められるが、見続けることを求められることはない。 唯一あるのが、「会話」をしている時である。 でも、これは私の自由であり、強制されることはない。 私が「もう、いっか」と思えば、自分のやりたいことを始めても何の罰も受けない。 奴の訳の分からない無駄話に付き合うのもおもちゃで遊び始めるのも全て私の気分次第である。 だから、我が家の生活は楽しい。 最後にもう一つ、我々「犬」がするかなり意味のあることを書こう。 それは「ちら見」である。 私は何かをしようとするとき、必ず、我が飼い主♂の方をちらっと見る。 散歩の途中でも、必ず奴の事をちらっと見る。 見るといっても、ほんの一瞬のことであり、見続けることはしない。 奴のアイコンタクトを求めている訳でもない。 何故だと思われるか? これは私と奴との関係を表す上で非常に重要な意味を持つ。 我が飼い主♂は、これがなければ、飼い主さんとの「絆」など無いに等しい位に思っているようだ。 ことの真偽は別にして、奴がそれほど重要なことと思っていることなので、敢えてここで理由を書くのはよそう。 多くの飼い主さんが「そうだ、そうだ」と思っていただけると嬉しいのだが、どうだろうか・・・ さて、今回はこの辺で終わりにする。 次回もまた、何かお役に立ちそうなことを書きたいと思っているのでよろしくお願いしたい。 ということで、次回もまた、乞う、ご期待!

作者: フレンチブルドッグのゴル男

更新日:2008年8月21日 20時15分

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