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トップ > ポメラニアン > ポメラニアン - 人気ブログ(Blog)検索結果詳細 (2008年9月6日 11時)
2008/9/6
明日は福岡サンセット。
今年最後の夏フェス出演。
出番は14時半過ぎで、40分間ほぼ演奏しっぱなし。
暑さとの勝負になるだろう。
今夏やってきたことの頂点を見せる気合いでまいります。
ライブの衣装と同時に、火曜日からの大学授業の準備も一緒に荷造りしていて、自分がどういうイメージでくくられるべき人間か、しだいによくわからなくなる。
ちなみに、来週土曜日の文芸漫談(下北沢タウンホールにて19時より)のため、『岬』『枯木灘』と読み直しを進め、『地の果て至上の時』に突入。
何度読んだことかしれないのは、付箋やドッグイヤーや書き込みの跡の多さでもわかる。
なので、別の文庫を使うことに。
当日も触れる予定だけれど、『軽蔑』を読み直したおかげで(8/25分を参照)、今までの中上読書とはまったく違う切り口が生まれている。
特に文芸漫談の今回の対象である『枯木灘』において意外なほど顕著なのだが(しかし、なぜかこれまで指摘されてこなかったと思う)、テキストのいたるところに「草」と「木」と「花」が出てくるのである。
「土」や「日」や「風」にテーマ的な注目が集まりがちだった中上健次テキストには、『軽蔑』ならずとも本来的に植物が異様なほど横溢していることに俺は驚き(中には、「秋幸は一本の草だった」とさえ書かれている)、ひとつとして落とすことなく数えあげてみたりしながら読書を進めているのだった。
続きは舞台で。
SAVE BURMA!
作者:
更新日:2008年9月6日 19時17分
2008/9/5
この数ヶ月、ひそかに三代目ホスーKを腰にぶらさげていたのだが、今日の午前中、ふと気づくとウォレットチェーンから外れて忽然となくなっていた。
白のスワロが一面に貼ってあって、中に七つだけ黄色いスワロが北斗七星の形になってるホスーKさ。
11/2にはタニタから俺バージョンが本気で売り出されるわけだが(すでに数タイプのデコり用シートと、パッケージのデザインも出来てる)、それまで付けていようと思った“北斗七星信仰がバリバリ入った陰陽師バージョン”だぜ。
浅草から六本木に向かう銀座線、ないし日比谷線の地下鉄車内で外れたんだろう。
不思議な装置を拾ったという噂が東京メトロを駆け抜けてたら、俺に教えてくれ。
で、失意の中、ミッドタウンでキャサリン・ハムネットの語る“環境問題とファッション”の講演をMCとして聞く。
凄い人だった。
ファッション業界が素材として環境によくないホルモンを誘因しがちなものなどを使っていることに絶望した彼女は、やがてフェアでないトレードによるアフリカの貧困にまでしっかり目を向け、ついにオーガニックコットンをフェアトレードするしかないと確信するに至る。
意識の低い商品はボイコットすべきだとさえ、彼女は明確に答えた。
反骨の人。
尊敬すべき女性。
仏教徒とも聞いたから、『ミャンマー軍事政権に抗議するTシャツ』をプレゼントすればよかった。
そのままミッドタウンで浅葉(克己)のおじき(勝手に「おじき」呼ばわりしてるのは、人生の節目節目になぜか浅葉さんに会う機会を得るからで、ご当人はそんな俺の思い入れを知らない)プロデュースの『祈りの痕跡』展を見て、経堂に移動し整体。
さらに表参道、リュネットジュラで過去の眼鏡フレーム幾つかに新しい度のレンズを入れる。いいフレームは年月を経てもまったく古くさく見えないことに気づいたため。
ちなみに、右目の乱視と近視がこの年になってもまだわずかに悪化。
で、帰宅して仮眠。
このブログを書き終えたら、『虎の門』生放送のため、テレ朝に参ります。
ああ、それにしても北斗のホスーK……。
あ、そうだ!
北斗信仰のシンボル・妙見菩薩の真言を唱えれば、あやつはたちどころに戻ってくるのではないか。
オン・スネリ・スネリ・チッタ・ソワカ!!(って知ってる自分が恐ろしいよ)
作者:
更新日:2008年9月5日 22時22分
2008/9/4
昨夜、ベランダに涼みに出たら、「チンチンチンチン」とカネタタキの鳴く声がした。
秋が来たのだ。
去年も鉢植えのどこかの土から同じ虫の声がしたものだった。
俺は昨秋に引っ越したから、土に混じった卵を運んできたのに違いなかった。
それが孵って鳴いているのである。
また来年もそいつの子孫が鳴くことは確かで、俺はそうやって繰り返される虫の命の切れ目のなさにめまいを覚えつつ、今年のそいつの寂しげな声をしばし聴いたのだった。
作者:
更新日:2008年9月4日 22時2分
2008/9/3
ちなみに、杉本博司さんの展覧会『歴史の歴史』は、 ニューヨーク、ワシントンDC、トロント、サンフランシスコなどなどを巡回し、ついに11月22日から3月22日まで、金沢21世紀美術館に凱旋する。
観ることが、生きてる証になるような展覧会。
作者:
更新日:2008年9月3日 22時55分
2008/9/2
本日はまず銀座に出て、ギャラリー小柳へ。
咲甫(大夫)さんらと、ソフィー・カルの展覧会などについて情報交換。
途中、杉本博司さん登場。
この人以上の写真家が日本にいないことは明白で、俺もさすがに緊張する。
しかし、古美術のプロとも言える杉本さんから『見仏記』の話が出たりして、やがてプライベート・コレクションの写真を見せていただくにいたる。
平安中期の十一面観音像、明恵上人図、鹿曼荼羅などなどにまじって、フランシス・ベーコンのミシェル・レリス画まで。
そして、惜しげもなくそれらコレクションをコラージュしてしまうセンス。
笑いながら俺はうらやましさでいっぱいになった。
杉本さんって、ハイカルチャー界のみうら(じゅん)さんなんだな、とも思いつつ。
そのまま六本木ミッドタウンに移動して、ビルボードLIVEでビリー・ポール。
『ME & MRS.JONES』はやはり圧倒的な楽曲。
そして、ビリー・ポールの甘く力強い歌唱の素晴らしさ。
今日はいいものを見たし、いい音を聴いたし、いい話が出来て幸せだった。
作者:
更新日:2008年9月2日 21時26分
2008/9/1
「政治家」の「家」は、責任と誇りをあらわす一文字だろう。
きれいに理性的に事に処した、というような元首相の表情がかえって危うい。
“政治を駆け引きにしないために”と彼は言ったが、この突然の辞任こそが最も大きな駆け引きに利することになるのは明白だ。
未練がましく汚く見えることの方が立派なのだ、と俺はつくづく思った。
作者:
更新日:2008年9月2日 0時9分
2008/8/28
先の話ですが、10月12日、江戸東京博物館にて14時から「浅草の楽しみ方今昔」というトークイベントが。
9月14日からの『浅草今昔展』にちなんだ催しで、出席者は以下。
荒井修×橘右之吉×山口智子×俺
そうとうディープな下町話になる予定、というか絶対なるね、このメンツ(笑)。
くわしくはこちらまで。
で、告知ついで、と言ってはなんですが、
『したまちコメディ映画祭 in 台東』ではボランティアを募集してます。
俺プロデュースの映画祭を、是非一緒に盛り上げていただけますよう。
ただいま、特にオープニングのレッドカーペット警備を厚く募集中。
まずは9月14日、上野恩賜公園野外ステージでのプレイベント「若手芸人オーディション」に来ていただいて、スタッフの顔など見て安心していただければ、と。
くわしくはこちら!
作者:
更新日:2008年8月28日 18時45分
2008/8/25
この夏、中上健次の『軽蔑』を“季語に注意しながら”読み直す、という話を少し前に書いた。
俳人・宇多喜代子さんが「今の季語はなんだ?という電話を、『軽蔑』の執筆中に中上さんはよくしてきたものだった」と言っていたとも書いた。
読み始めてすぐ、俺は自分が記憶を改竄していることに気づいた。
宇田さんは“季語”と言ったのではなかった。
「花」と言ったはずなのである。
『軽蔑』に“季語”への目配せはない。
しかし、花は頻出する。
特に中上健次全集11のp180が興味深い。
ヒロイン真知子が新幹線で移動する間、窓外に花が連なっている。
それを中上はこう書く。
「藤の花なのか、桐の花なのか、紫色の花が混じるのに気づき」
花の種類を作者はしばし同定出来ない。
藤か桐かなどという迷い方は、花の形からすればあり得ないことである。
そして、やがてこの“紫色の花”は栴檀(せんだん)と名指される。
名指された途端に栴檀は、真知子によって「その花が神仏ででもあるように救けて欲しいと祈る」対象とされる。
この箇所以降、花は明らかに意図的に出現する。
シーンを変える場所、心理の変わり目に花が出てくる。
花は中上によって、まさに「散種」される。
意識の頂点は全集11のp373である。
このページには、木槿、コスモス、紫陽花、つゆくさ、曼珠沙華、雛罌粟、萩と七つの花が次々に出てくる。
すでに真知子が恋い焦がれた男、カズさんは死んでおり、その男の体が分裂して花になったような印象さえ受ける。
ある批評家によって、『軽蔑』は“鏡像的分裂”を秘めた小説とされていたはずだ。
真知子が踊り子としてポールにからみつき、鏡の中で腰を突き出すとき、身体は確かに鏡の中で幾つものイメージに分かれる。
しかし、“鏡像的分裂”なら、すでに『日輪の翼』に顕著である。
小学館文庫の同作解説で俺が指摘した通り、「一宮と諏訪が合わせ鏡になっている気がし」、四つ乳房があるララがいて、ツヨシらは二本のペニスを持つとからかわれるのだから。ちなみに、この小説の中でオリュウノオバは七人の老婆に分裂してもいる(『軽蔑』の花の最大分裂の数と同じ!)。
したがって、むしろ『軽蔑』は「花の分裂」を指摘されるべき作品であり、当然、分裂というからには本体がなければならないだろう。
その本体とは何か。
中上作品に多少とも触れたことのある人間になら、もう答えはわかっているはずだ。
中上が故郷の被差別部落を「路地」と呼び、小説のトポスとしたとき、象徴的に作品内に咲かせた実在しない花。
夏芙蓉。
つまり、『軽蔑』はこの「夏芙蓉」の分裂をテキスト上の特徴とした長編なのである。
「路地」が資本によって買収され、再開発にあって消滅したあと、中上は「夏芙蓉」を様々に変化させた。
先に引用した『日輪の翼』では、主人公ツヨシが七人のオバらを連れて故郷を出奔するとき、高速道路の路肩に「今まで眼にしたものの丁度三倍もの背丈」の「夏芙蓉」を置く。巨木化したその「夏芙蓉」を境に、中上の作品世界は「路地」から外に開かれていく。
とすれば、一切「路地」の出てこない『軽蔑』は、作者が神話性の高い「夏芙蓉」を捨てて、それを卑俗な花々へと分裂させながら、なおも作品の強度を保とうと苦闘した小説だと言える。
付け加えておくと、前に挙げた全集11、p180がおそらく意識の境目で、中上は無意識から湧き上がってきた紫色の花への興味を抑えきれず、それを藤といい桐といいながらテクスト上に書きつけようとし、やがて栴檀とした途端、それが「夏芙蓉」の新しい姿だと気づいたはずなのである。
事実、このページ以降、花は意識的に現れるようになる。
それまでは意味を背負っていなかった花々が、一気に物語上での役割を担い始める。
宇多さんが花の名を聞かれ、その盛りの季節を聞かれたのは、したがってp180を書いたあとからということに、俺の推測ではなる。
中上は「夏芙蓉」との訣別を意識し、神話的世界から現実へと作品を移行させた。
その軌跡に随行したのは卑俗な、しかしだからこそ中上に満足を与えたはずの花である。
神話を現実の卑俗な関係一般で塗り替えてしまうこと。
路地をありとあらゆる困難な場所へと拡散させること。
中上は花とともに、そうした闘争を続けた。
『軽蔑』では花を追うといい。
中上健次の戦いの痕跡にそれが咲いているのが、ありありとわかるから。
作者:
更新日:2008年8月25日 21時37分
2008/8/21
告知!!
2008/10/17
18:30開演
東京・永田町、星陵会館にて(3000円 大学生以下2500円)
ビルマ(ミャンマー)・サイクロン被災者救援チャリティコンサート
主催 ビルマ市民フォーラム
後援 アムネスティ・インターナショナル日本/ビルマ情報ネットワーク
で、俺はピアニスト・沢知恵さんと組んで
『ミャンマー軍事政権に抗議するポエトリーリーディング QUEIT』
をお送りします。
かなり凄みのあるリーディングになると思うので、是非聴きに来て下さい。
くわしくはビルマ市民フォーラムにお問い合わせを。
なお、収益金は軍政を経由せず、サイクロン被災者救援、復興支援に使われます。
よろしく!
作者:
更新日:2008年8月21日 23時51分

