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トップ > 心と体 > 心と体 - 人気ブログ(Blog)検索結果詳細 (2008年12月2日 2時)
今日は外出三昧? ! 「水鳥が眩しい」篇
(08/12/01付けの日記より)
「今日は外出三昧? !」
「水鳥が眩しい」篇
昨日の日曜日まで、ほとんど雨続きだったので、今日、月曜日は外出三昧(← こんな言葉があるかどうか分からないが)となった。
← 図書館近くの池にて。ススキの穂が頬を撫でるように揺れていた。
尤も、一件は延期。
母の用事で近所の民生委員の家を訪ねるはずだったが、なんと、昨日付けで民生委員を辞め、他の方に引き継いだというのだ。
昨日のうちなら、あっさり用事は済んだはずなのだが、師走の今日、一日からは町内の他の区の方、全く面識のない方に代わったこともあり、一度は訪問を願って家の、つまりは母の様子を見てもらう必要が生じてしまった。
別に隠すことは何もないけれど、事情を一から説明し理解してもらって、その上でいろいろ頼みごとをすることになる。
というわけで、民生委員宅への訪問はなくなった。
でも、用事は他にいろいろ。
→ 『森昌子 ベストセレクション ~越冬つばめ~』(ポニーキャニオン) 一度、引退(その後、復帰)するまでの森昌子は良かった。抜群の歌唱力・表現力。ブランクは大きい…かも。
まずは、図書館へ。期限の来たCDや本を返却し、当然ながら別の本を借り出す。
今日、返却した本は下記:
辻 惟雄【編】『激動期の美術―幕末・明治の画家たち 続』(ぺりかん社 )
ダグラス・ボッティング著『フンボルト 地球学の開祖』(西川治/訳 前田伸人/訳 東洋書林 )
磯辺勝/著『江戸俳画紀行 蕪村の花見、一茶の正月 』(中公新書 1929 中央公論新社)
鎌田東二著『身体の宇宙誌』(講談社学術文庫)
(以上の感想文などは、「万感胸に…読書拾遺」を参照のこと。感想文はこれといって書いていないが、ダグラス・ボッティング著の『フンボルト 地球学の開祖』は、抜群に面白かった。少年(少女)の日、冒険活劇や探検物の小説に胸を躍らせた思い出のある方は、是非、一読を。「インディ・ジョーンズ」に限らず、どんな活劇物よりハラハラドキドキ。しかも、事実は小説より奇なりを地で行く伝記本なのである。凄い人がいるなと、つくづく感心させられた。)
同時に返却したCDは下記:
モーツァルト『ヴァイオリン・ソナタ集』(ヨゼフ・シゲティ:ヴァイオリン ミエチスラフ・ホルショフスキー:ピアノ ジョージ・セル:ピアノ CBS)
『森昌子 ベストセレクション ~越冬つばめ~』(ポニーキャニオン)
(以上のCDなどの紹介は、「沈む夕日を眺めつつ……音楽拾遺」を参照のこと。)

← 竹内まりや『Quiet Life』(MMG/AMCM-4141)
慌しい気分の中、物色して借り出した本は、下記:
ボードレール著『パリの憂鬱』(渡辺邦彦訳 みずず書房)
高瀬正仁著『岡潔 数学の詩人』(岩波新書)
谷川俊太郎&徳永進著『詩と死をむすぶもの』(朝日新書)
十川信介著『近代日本文学案内』(岩波文庫別冊)
(ボードレールの『パリの憂鬱(憂愁)』は、既に三度は読んだが、アドルノの『ボードレール』を読んでいて、数年ぶりに読み返したくなった。高瀬正仁著の『岡潔 数学の詩人』は、まあ、小生には岡潔の随筆『春宵十話』は、高校時代に読んで魅せられた懐かしい本。拙稿の「春宵花影・春宵十話」参照。小生は中学のある時期、数学者になることを夢見た。素質は全くないのだが、数学への憧れは今も深く強くある! 『詩と死をむすぶもの』は、詩(死)を巡っての話題を読んでみたくなって。十川信介著『近代日本文学案内』は、何故、借り出したか分からない。借りた三冊の本をすぐにも読了しそうだから、念のため近代文学を勉強する意味もあり、借りたのだろうと思う ? ! でも、面白そう!)
→ 『Super Best カントリー & ウェスタン』(東芝EMI TOCP-9155) 聴いてみて、ちょっとガッカリという印象。
借り出したCDは、下記(今回はトラブルもなく、スムーズに3種のCDを借りられた! → 「図書館でのトラブル」参照。):
竹内まりや『Quiet Life』(MMG/AMCM-4141)
『Super Best カントリー & ウェスタン』 (東芝EMI TOCP-9155)
『V.S.O.P.~ニューポートの追想』(ソニーレコーズ インターナショナル)

← 『V.S.O.P.~ニューポートの追想』(ハービー・ハンコック(ピアノ)などなど。 ソニーレコーズ インターナショナル) ファンキーって感じ!
『Super Best カントリー & ウェスタン』 (東芝EMI TOCP-9155)は、トラブルがあった日に本来なら借り出せていたはずのCD。
意地でも聴きたかった!
(いざ、聴いてみたら、ちょっと物足りない!)
もう一つ、借り出したい候補があった。それは、ブラームスの交響曲全集というCD。『V.S.O.P.~ニューポートの追想』と、どちらにするか、迷ったが、今回はジャスを聴きたいということで、ブラームスは次回に。
ブラームスは大学に入った頃、なぜか夢中になった。
小生が18歳の冬、初めて書いた小説(超短編)にもブラームスが登場したのだった。
気になる、奇特な方は、「ある日」をどうぞ!
→ 番(つがい)だろうか、二羽の水鳥たちが水辺を行く。
図書館を後にして、松川や富山城のお堀などを横目に、スーパーへ急ぐ。
途中、水鳥などを目にしたり、立山連峰を愛でたりしていたら、不意にポートラムの雄姿に遭遇。久しぶりだ。
以前は、よく利用していたスーパーへ向かう際、その路線の踏み切りを通り過ぎたので、折々、目にしてたものだった。
トラブルさえなければ、今もそのスーパーを利用していたはずなのだが。
← ほとんど純白の鳥。陽光に映えて一層、眩く白く輝いていた。
スーパーで買物。
土日と雨や用事であまり買物ができなかったので、買うべき品物が多い。
でも、小生の自転車の籠は一つだし、しかも、小さいので、あまり沢山は買えない。
しかも、図書館で本を四冊にCDを三種(5枚)、借りていて、それをビニールの袋に入れているので、尚のこと、買物の量は限られてしまう。
籠に山盛りにして、片手で荷物を押さえつつ、家に向かう。
一旦、荷物を台所において、今度は母のための身の回り品を買うために、ドラッグストアーへ。
ティッシュペーパーなどの紙類が一杯で、やはり籠から溢れるほどの荷物。
急いで昼の用意、食事、片付け、そして、味噌汁作りなどをして、やっと一服。
(「幻のポインセチア」篇へ続く。)
作者: やいっち
更新日:2008年12月2日 1時49分
槍ヶ岳の開祖・播隆上人
→ 母が退院した翌日の夕方。小生の居住する部屋の窓からの、やんわりとした夕景の眺め。ホッとするひと時…。 === 以下、本文です。=== 「槍ヶ岳の開祖・播隆上人」 今日(21日)の読売新聞朝刊の小さなコラムに、「播隆上人」の話題が載っていた。 富山生まれ(越中国新川郡河内村(現富山市大山地区)の出身)だが、主な活躍場所は岐阜や長野ということもあり、生地・富山でもあまり知られていないという。 小生自身、「浄土宗の僧侶で槍ヶ岳の開祖」だという播隆上人(ばんりゅう)の存在や名前など全く知らなかった。 せっかくなので、ネット検索などで大よその情報だけでもピックアップしてみたい。 「飛騨の山里暮らし NO15 笠が岳の開山と再興」(2005.10.4更新)をまず参照する。 その中の、「笠が岳の開山と再興」の項に、「岐阜県と長野県境には槍ヶ岳、穂高岳、乗鞍岳など3000m以上の山々が7座連なっているが、笠が岳(2898m)は他県と境界をまたがない岐阜県内の最高峰である」とあった上で、以下の興味深い記述がある: 笠が岳を開山したのは、円空上人であるといわれている。 円空が笠が岳を開山したという確たる記録も痕跡も残っていないが、飛騨を訪れ一際高く聳える笠が岳を仰いだ時に、山岳修験者でもある円空が登らなかったことは考え難いし、仮に木の仏像を山頂に安置したとしても長年の風雪に曝されれば消滅してしまうだろう。 今もその謎を解明しようと、飛騨の円空研究者や愛好者達はその足跡を求めて笠が岳に登っている。 さらに円空についての記述が続き、興味は尽きないが、リンク先を読んでもらうとして、ここでは以下の箇所を示しておく: 円空の死後150年を経て、槍ヶ岳開山で有名な播隆上人が天明6年(1786年)に、越中河内村で生まれた。 (中略) その後、彼を信じる村人などの協力を得て、文政6年(1823年)ついに登頂に成功した。 (中略) 播隆は諸国行脚の折は円空仏を笈の中に納め、いつも持ち歩いていたといわれている。 笠が岳「開山」といわず「再興」というあたりにも播隆の奥床しい人柄と円空を敬う気持ちが表れている。 かなりの部分を略したが、是非、一読願いたい。 また、「円空・播隆上人の足跡を訪ねて」として、「笠が岳登山」(2005.9/30~10/2)なる頁がある。 絶景の数々の写真が載っている。必見! ← 「播隆」 (画像は、「播隆 - Wikipedia」より。) 上掲のサイトには、「新田次郎の「槍ヶ岳開山」には、播隆上人の生涯が詳しく語られている」という記述があった。 「槍ヶ岳の開祖 播隆上人 OUTDOOR+-ウェブリブログ」なるブログの記述も興味深い。 この記事の末尾に、以下のサイトが播隆上人について詳しいと書いてある: 「飛騨総合ポータルサイト 温故知新の旅-上宝村-播隆上人」 小生らしくもなく、順番が逆になったが、「播隆 - Wikipedia」なる項目がちゃんとある! 「播隆(ばんりゅう、1786年(天明6年) - 1840年11月14日(天保11年10月21日))は、江戸時代後半の浄土宗の僧。槍ヶ岳の開山、笠ヶ岳の再興者。越中国新川郡河内村(現富山市大山地区)の出身」とあり、さらに、以下のように書かれている: 播隆は、自身の登頂のみでは満足せず、多くの人が山頂まで登れるようにするため、その後、何度も槍ヶ岳に登り、その槍の穂の難所に大綱を掛け、また、より頑丈な鉄鎖を掛けるよう尽力し、その生涯を閉じた。 あれこれサイトを物色したところ、以下のサイトに行き当たった。 「播隆上人略年譜」を含め目、充実している: 「播隆上人を偲んで」 生地ではなく、松本駅前に上人の孤高のブロンズ像があるのは、致し方ないのか。 さらに渉猟していたら、「弟子が語る播隆上人」という頁を発見。 身近で接した者ならではの話を読める。 「山と歴史 【播隆上人略傳】 愛知厚顔」は、文献をダイジェストする形で、播隆上人像を描いてくれていて、読み物として楽しい。 播隆上人についての文献は各種あるようだが(末尾に列挙する)、有名なものとして新田次郎著『槍ヶ岳開山』(文藝春秋)があるが、これはあくまで小説だという、「新田次郎「槍ヶ岳開山」の「うそ」と真実」は読んでおいていいのではなかろうか。 小説を読む前に読むか、読了後に読むか、悩ましいが。 「笠ヶ岳~槍ヶ岳 (播隆上人の足跡を追って) [山行記録] - ヤマレコ」は画像が満載で、まさに播隆上人の足跡を追ったように感じられる?! → 新田次郎著『槍ヶ岳開山』(文春文庫 文藝春秋) 小生は未読。書評「槍ヶ岳開山 新田次郎」参照。 調べてみると、「槍ヶ岳開山播隆上人追慕登山」という試みが幾度なくされているようだ。 なるほど、わが国第4位の高さを誇る霊峰槍ヶ岳(3,180m)というと、播隆上人なのだと改めて思い知らされる。 紹介し切れなかったが、「後藤新弥コラム「スポーツ&アドベンチャー」 nikkansports.com」も、題名(副題)が「播隆上人の一里塚見つけた!! 飛騨・笠ケ岳を再興、ウエストンより早く槍ケ岳に初登頂」とあって、読むに楽しい頁である。 参考: 穂刈貞雄著『槍ヶ岳開祖播隆』(大修館書店 ← 穂刈三寿雄著?) (「天空の寺院「槍ヶ岳開山」」参照。) 新田次郎著『槍ヶ岳開山』(文藝春秋) 大久保 甚一著『念仏行者播隆上人』(岐阜県揖斐郡播隆上人讃徳会) 播隆上人 著『播隆上人 迦多賀獄再興記 信州鎗獄略縁起』(企画・編集 日本山岳会) 「富山……佐伯有頼そして立山」 (08/11/21 作)(08/12/02 加筆)
作者: やいっち
更新日:2008年12月1日 4時54分
久しぶりに創作…三昧?
創作「信号待ち」をアップしました。 「暇(?)の徒然に創作」 母が金曜日に目出度く退院。 約二週間の入院生活で、容態が安定したのはありがたい。 けれど、心配なことが一つ、二つ、…三つ。 我が家は病院ほど、空調も含め暖房や衛生面で完璧ではないこと。 でも、もっと心配なことがあった。 それは、在宅の間は、ケアセンターへの週に二度の外出も含め、トイレへも、手すりや人の手を借りてではあっても、とにかく歩いていた。 それが、母の今の体の状態には長い病院での寝たきりの生活で、足腰が入院前より一層、弱まって、帰ってきたはいいが、在宅で寝たきりの状態になるのではということ。 幸い、今のところ、杞憂に終わっている。 金曜日の退院に際しても、ベッドから車椅子、車椅子から車への乗り込み。 帰宅して、車から降りて家の中へ、茶の間への移動と、母には過酷な運動を強いられる。 親戚の者の手伝いもあってのことだが、金曜日は何とか乗り切った。 茶の間での一服の後、寝室へ休憩のため。 → 退院した金曜日、帰宅時に雨。父母が寝室に篭った後、ホッとした気分で庭を撮影。 夕食時も手すりなどを伝って、何とか歩いて茶の間へ。 御陰で夕食は二週間ぶりに父母と小生の三人で。 夕食後、母は(父も)入退院前よりも早めに寝室へ引っ込んだ。 まあ、父母共に外出で普段より相当に過重な運動をしたから、仕方がない。 茶の間に残された小生は、一人きりでの長い夜を、久しぶりにテレビ三昧。 炬燵に潜り込んで、ヌクヌクと。 ホッとしていた。 土曜日はどうだろう。 その前に、金曜日の夜中に発作が起きないか、懸念していた。 でも、恙無く土曜日の朝を迎えた。 土曜日の朝、部屋を暖め炬燵もオンにして父母を待っていると、スライドドア(でも、手でスライドさせるタイプ)を開けて母がいつもの真剣な眼差しで茶の間に入室。 倒れないよう、懸命なのである。 茶の間の所定の椅子にドッと腰を下ろす。 畳(座布団)の上に座ることは、足の都合で出来ないのだ。 厚手のカーディガンを羽織り、ひざ掛けをし、足は炬燵に突っこむ。 これで、食事と団欒のひと時を迎える態勢が出来た、というわけである。 といっても、すぐにインシュリンの注射。 注射の数字は本人もだが、父も小生も確認する。 ← 退院の翌日・土曜日の午前は晴れ。自転車を駆ってスーパーへ。近くの空き地に立ち寄って撮影。立山連峰が鮮やかだった。 朝の食事は具沢山の味噌汁、チボイモの煮物、バナナを三分の一、ご飯。 まあまあの食欲。平らげてくれたし。 昼も夜も、今夏乃至秋口までと変わらぬ量の食事をほぼ全て食べてくれた。 寝室で不意に血糖値の低下や脱水症状といったパニックに陥らないよう、ミカンなどを父母に渡しておく(飲み物は寝室に常備してある)。 さて、夜になった。 土曜日の夜はアルバイト。 日中は雑用でできないので、夜、パート風な仕事。 それも、週に三日しかない(収入がない)!! さて、会社へ行ったら、「あんた、今日の出番じゃないよ」だって。 てことで、先立つものもないし、給油だけしてまっすぐ帰宅。 映画でも観たかったけどね。 → 庭のミカンも、すっかり黄色くなった! 夜、時間がポッカリ空いた。 父母は既に寝室に引っ込んで、テレビなど観ている。 テレビ三昧しようか。 でも、ふと、久しぶりに創作などやってみようかと思った。 何を書くあてがあるわけじゃない。 ただ、虚構空間に遊んでみたいという衝動があるだけ。 パソコンの画面に向かう。 そのうち、或る日、病院へお見舞いに行った帰り、雨が霙(みぞれ)に変わった時の感覚を思い出した。 病院を出てすぐに渋滞に嵌(は)まった。 病院を出るのが遅くなったけれど、夕方でもないのにラッシュ? 大降りの雨が霙に変わり、雪になりそうだったからだろうか。 → スーパーの帰り、飛行機の爆音…。旅客機の機影を見た。 見ると、交差点の向こう側すぐに踏切がある。 その踏切の信号が赤色点滅している。 列車の通過待ちで渋滞となっているのだ。 霰(あられ)や霙(みぞれ)に降り込められ、渋滞に嵌まり、なんとなく惨めな気分になった。 その感覚を作品に仕立てようと思いついた。 但し、例によってストーリーなど考えていない。 書きながら、創作しながら物語を考えていく。 いや、物語などなくたっていい。 何気ない日常であってもいい。 渋滞の中、霙に降られて、ボヤーとしていた自分。 実際には、そんなボンヤリな自分が居ただけ。 でも、架空の時空ではもう少しだけ違う自分がありえたはず。 → 裏庭の木々も黄葉。晴れ渡った空に映える。でも、午後には天気も曇天に、そして夜には氷雨。氷雨の音を聞きながら、創作していたのだった。 その可能性の一つを戯れに作ってみればいい、そう思った。 その結果が表題のこれ: 「信号待ち」
作者: やいっち
更新日:2008年11月30日 8時10分
篤姫・和宮らと立山信仰
11月26日(水)だったと思うが、NHKテレビ(ニュース)の「アクセスリポート」というコーナーで、「篤姫たちを支えた 立山信仰 」といった特集が組まれていた:
「NHKニュース 篤姫 立山信仰寄進の文書発見」
→ 「立山」 (3,015m。「立山(たてやま)は、富山県・飛騨山脈(北アルプス)にある山地。複数の山の総称であるため、別名立山連峰とも言う。日本三名山・日本百名山の一つ。また日本の古くからの山岳信仰の山として、日本三霊山の一つともされる」。画像は、「立山 - Wikipedia」より。)
この日は、なぜか同じこの特集を二度も見てしまった。
といっても、食事の準備か最中か片付けの作業中だったりで、テレビをジッと見ていたと言うわけではない。
なので、ニュース(特集)の中でどのようなコメントがあったのか、ほとんどが右の耳から左の耳へ…どころか、断片的にしか耳にも目にも届いていない。
それでも、篤姫の手紙(古文書)がテレビ画面一杯に映っていたのは、チラッとだが観ることができた。
文書そのものは二年前に発見されているから、研究者の間では既に知られている事実なのだろう。
富山以外の方には、あまり強くは関心を惹かないかもしれない。
宮崎あおい主演の大河ドラマ「篤姫」(宮尾登美子原作)が高視聴率を得ているし(内緒だが、小生は録画などでほぼ毎回、見ている!)、そろそろ終わりの時を迎えつつある中、富山の者としては、少しでもその人気にあやかりたいわけである。
富山は江戸にも京都にも鹿児島(薩摩)にも遠い(但し、富山藩にしても、諜報戦には真剣だったわけで、そのことは例えば拙稿「「富山の薬売りと薩摩藩」の周辺」などで言及している)。
ドラマの中で富山が関連することは(多分)ないし、なかったはず。
だからこそ、「NHKニュース 篤姫 立山信仰寄進の文書発見」といったニュースには飛びついてしまうわけである。
← 「経田の大徳寺に保管されている-立山曼陀羅」 (画像は、「立山曼陀羅」より。「江戸時代には多数の立山曼陀羅が製作されたが、 現在、 全国に四十点余りが現存するに過ぎない貴重な資料である」という。是非、クリックして拡大画像で見て欲しい。篤姫が見たのは、どのような立山曼陀羅だったのだろう。)
篤姫・和宮らも関わった「立山信仰」については下記のサイトが詳しい:
「立山芦峅寺衆徒の「立山信仰」ビジネス」
―特に江戸での天璋院篤姫・静寛院和宮・江戸幕府
第14代将軍徳川家茂との関係も交えながら―
富山県立山博物館 主任・学芸員 福江 充」
一部を転記させてもらう:
立山山麓の芦峅寺と岩峅寺の宿坊衆徒のうち、芦峅寺衆徒は、例えば江戸や大坂・尾張国・信濃国など、日本各地に縄張りを決めて檀那場を形成し、毎年農閑期になると各自の檀那場に赴き、立山信仰を布教しながら護符や経帷子を頒布して回りました。
(中略)
芦峅寺衆徒は毎年、講元の庄屋宅や江戸の檀家に宿泊した際、近隣の村人を集め(江戸では各家単位で実施)立山曼荼羅を掛けて絵解きしました。曼荼羅の画面から、立山開山縁起や立山地獄と立山浄土、女人禁制にまつわる伝説、布橋大灌頂法会などの内容を順々に引き出し、また時には、特定の内容だけを、話芸を駆使し、身振り手振りもまじえて物語ったといいます。
(中略)
江戸時代後期以降、立山信仰が江戸の町民社会はもとより、江戸城や新吉原などの特殊な社会のなかでも受容されていたことがわかってきました。今年の大河ドラマの主役天璋院篤姫や静寛院和宮、そして将軍徳川家茂や幕閣大名なども、立山信仰と意外なかかわりをもっています。
富山にとっての(一応は)全国的なニュースなので、当該のニュースも、消滅(削除)される前に、一部なりとも転記しておく。
「NHKニュース 篤姫 立山信仰寄進の文書発見」(11月26日):
幕末から明治にかけて波乱の生涯を送った天璋院篤姫が、北アルプスの立山連峰に古くから伝わる山岳宗教「立山信仰」に寄進して祈とうを依頼していたことを示す古文書が富山県で見つかり、研究者は、幕末の政情が不安定だった時期に篤姫が信仰に心を寄せようとしていたものとみて注目しています。この古文書は、立山連峰のふもとにある富山県立山町の民家で、おととし蔵を取り壊した際に見つかり、立山博物館の研究者が文字の復元などの作業を進めています。古くから聖地として信仰の対象となっていた立山の僧りょは、江戸時代、全国を回って盛んに布教活動を行っていましたが、古文書には、大政奉還の6年前の文久元年に、僧りょが江戸城の本丸を訪ねたという記録が残されています。また、その翌年に篤姫が祈とうを依頼するために寄進を行ったことを示す記述もあります。さらに寄進者の一覧には、14代将軍・家茂の妻、和宮の名前も書かれていました。立山博物館では「当時、女性は山に入ることが許されなかったが、立山信仰は、代わって祈とうを行う宗教となっていた。篤姫は、幕末の動乱期に何かにすがりたいという思いで信仰に心を寄せたのではないか」と話しています。
→ 「剱岳(2005年6月)」 (2999m。画像は、「剱岳 - Wikipedia」より。「剱岳(つるぎだけ)は、飛騨山脈(北アルプス)の立山連峰にある標高2999mの山。富山県の上市町と立山町にまたがる。日本百名山の一つ」!)
参考:
「大河ドラマ 篤姫」
「AOI MIYAZAKI official web - 宮﨑あおい」
「飛越地震から150年」
(篤姫や井伊直弼らが活躍していた時代に起きた地震を扱っている。)
「「富山の薬売りと薩摩藩」の周辺」
(富山藩の薬売りを使っての諜報戦など。)
「立山信仰と立山曼荼羅の解説」
(篤姫らが見た立山曼陀羅とは。)
「剱岳(劔岳)点の記コーナー」
(宮崎あおいも出演者の一人である、来年公開予定の、映画『劔岳 点の記』(木村大作監督作品 音楽 池辺晋一郎)についての情報をパンフレットから。)
「宝泉寺蔵地獄極楽図から我が地獄の夢へ」
「富山……佐伯有頼そして立山」
「善知鳥と立山と」
作者: やいっち
更新日:2008年11月29日 1時45分
目張りする
春の季語に「目貼剥ぐ(めばりはぐ)」がある。 「冬に寒いすきま風が入らないように貼ってあった目貼りを、春になって剥がすこと」だという。 この季語を巡っては、既に早々と拙稿「目貼剥ぐ(めばりはぐ)」を仕立てている。 「目張り」という表記のほうが一般的なのかもしれない。 ← 台所の出窓に目張り。枠が傾いている! では、冬の到来を控え、「冬に寒いすきま風が入らないように」目貼りをするってことも、冬の季語としてあるはず。 と思って、「隙間風(すきまかぜ)」や「冬を前に真っ先に行う防寒、防風、暴雪の万般の作業」である「冬構(ふゆがまえ)」といった季語と共に、「目張りする」を探したけど、冬の季語には見つからなかった。 探し方が甘いだけかもしれないが。 その代わり(?)「北窓を塞ぐ」なんて季語があったりする。 北窓をどうやって塞ぐのだろう。ダンボールやベニヤ板を宛がう? 雨戸のような戸を冬の間中、閉め切り状態にする? 何か厚手のカーテンを引いておく? 入院していた母が戻ってくる。 そのことは嬉しいのだが、母が十日余りの入院で、病院での快適な生活に慣れているようでもある。 必要に応じて点滴を打ったり、化膿していた部分を処置してもらったり、軽い床ずれを看護師さんらの気遣いで軽快してもらったり、ベッドで体を起こすだけで食事をすることが出来たり、トイレもそんなに長く歩かなくても済ませることができる、などなど。 ベル(ボタン)一つで看護師さんでも、それこそお医者さんも呼べる…。 → 自室の障子戸。どの部屋も傾いている。戸の桟を削ることも考えたが、まずは目張り。障子戸を板戸に替えたいな。…あっ、その前に障子紙の破れを修復しておくのが先決か。 そのうちの幾つかは工夫ができるし、逆に、寝たきりの状態では困るので、多少辛くても、歩いてトイレへ、歩いて寝室から茶の間へ、あるいは、週に二度はリハビリ施設へ出かけるなど、頑張って足腰を使ってもらう必要があったりする。 その前に、対策に苦慮するのが暖房。 我が家が、病院のように終日、全館が暖かいというわけにはいかない。 朝、父母より早めに起きて、茶の間などを暖めることはできる。 エアコンを入れ、灯油ストーブを使い、炬燵もホットにしておく。 父母の寝室は、手元のスイッチでエアコンが入るし、灯油ストーブがある。 寝室(ベッド)には電気カーペットもある。 茶の間には炬燵も含め暖房器具がある。 ← 自室の脇には廊下がある。その天井は、隙間風が凄い。風どころか、落ち葉が舞い込むことも! 古い布団綿を詰め込んだ! 問題は、そのほかの部屋や廊下である。 玄関や座敷、仏間、廊下(縁側)などは母がまる歩かない(手すりがないから歩けない)。 でも、寝室からトイレへ一歩出ると、そこは寒風こそ吹き込まないものの、外気と窓などで仕切られているだけで、寒いことこの上ない。 寝室とトイレをつなぐ二メートルもない廊下は、玄関や茶の間への廊下と繋がっていて、そこには一切、仕切りの類がない。 玄関を含め暖めるのは、玄関と廊下を併せてそれなりの広さがあり、ちょっと暖めるのは無理に近い。 トイレの中も寒い。 幸い、数年前から便座などは座ると暖かくなるタイプに切り替えられているのだが、トイレの中は寒い。 それにトイレのドアも開けて用を足すので、いずれにしても、トイレ周りは寒いのである。 あるいは、力技になるが、座敷や仏間を含め、普段、使わない部屋にも灯油ストーブを置いて、少なくとも日中は稼動しっ放しにするか。 座敷と仏間との仕切りが、襖や障子(紙)なのをせめて板戸に交換するか。 欄間の空間をダンボールで仕切って埋めてしまうか。 床下の寒風を防ぐため、畳の上にカーペットを敷く、乃至は畳の下に新聞紙を敷くか。 天井からの寒風を防ぐため、天井裏にダンボールなどを敷き詰めるか(これは、昔、アパート暮らしをしていた頃、試みたことがある。古着などを天井裏に敷き詰めたものだった)。 → 一昨日、お見舞いに行ったら、病院のエントランス付近に、燃えるように真っ赤な紅葉(カエデ?)が。目に眩しいほどに見事な紅葉を思わず撮ったけど、小生の腕前がひどくて、なんだかしょぼくれた画像になっちゃった。 まずは、トイレ(の廊下)と玄関との間に仕切りを設けるのが先決なのかもしれない。 仕切り戸を設置するか、厚手の生地のカーテンを下げて、玄関から茶の間への廊下といったやや広い、且つ寒い空間と仕切ってしまうのがいいのだろう。 などと、富山での初めての越冬を、どう果たすか、ない知恵を絞っているわけである。 参照拙稿: 「冬座敷に隙間風が吹く」
作者: やいっち
更新日:2008年11月28日 2時35分
ムスカリ……商品説明は読みましょう!
我が家をお花畑に、の一環というわけではないが、昨日、ムスカリの花の球根を買ってきた。 一昨日、納屋に安置してくれていたチューリップの球根を植えた。 → 水曜日、病院の窓越しに晴れ渡った空や山々を遠望。ガラスが分厚いので、透明感が今ひとつか。 それは、父が五月だったかに、庭のチューリップの開花シーズンが終わったのを見計らって、球根を取り置いてくれたもの。 ただ、ちょっと数的に足りず、スーパーでの買物ついでにチューリップの球根を買い足そうと思って物色。 でも、高い! まあ、スーパーの入口付近に場所を借りての小さな店舗なので、大きな園芸ショップのようには安くはないのだろう。 球根だって、我が家のものより立派ではある。 それにしても、チューリップの球根が網の袋に三つ入って、定価が400円弱って、高い! チューリップの球根があんなに高いなんて、相場を知らない小生、ビックリ仰天、絶句。 尤も、もう、時期遅れというか、籠にあったのは売れ残りで、三袋を纏めて買えば千円だって言う。 それでも、高い! ← ほぼ同じ場所から撮った月曜日の空。富山は段々、雲の厚い日が増えていく。 何処か大きな専門店に行くことがあったら、買うことに方針を変えた(それでも、高いなら諦める)。 すると、同じ籠に違う花の球根類が売られている。 その中に、ムスカリの花も! 小生、以前、「ムスカリの花」って題名の短編を書いたこともあり、ムスカリの名を聞くと(読むと)ちょっと胸がムズガユクなる。 でも、どうせ、チューリップの球根じゃないけど、一袋に三つほどで同じ値段なんだろうと、袋を裏返してみたら、中に十粒以上の球根が入っている。 途端に小生、色気づく! よし、三袋、買っちゃおう! → やはり月曜日、お見舞いの帰り、駐車場にて空を撮る。不穏な空? 自転車の小さな籠にスーパーでの買物を詰め込んだビニールの袋を無理やり詰め込み、その上に、レジで新聞紙に包んでもらったムスカリの球根の袋を載せ、いつものように、手で籠の商品を押さえながら、片手運転でいそいそと帰宅。 お昼の食事の片付けもそこそこに、庭や畑の落ち葉掃除。 散った枯れ葉や黄葉(紅葉)の葉っぱ類も多いが、我が家には大きな杉の木があるので、その杉からの落葉が凄い。 まずはそうした裏庭や畑の落ち葉を掃除が先決。 大方、メドがついたところで、ムスカリの球根植え作業に。 でも、植える場所にまず、迷った。 我が家の畑と近所の家々の畑との際(きわ)の一角は、菊が植えられているし、ホウキ草も鉢から植え替えたし、その隣に数メートルに渡って、チューリップの球根を植えたばかり。 迷った挙句、数列ある畑の一列をムスカリの花に提供することにした。 …なんて、偉そうなことを書いているが、小生、球根など植えたことがない(小学生の頃、授業か何かでさせられたかもしれないが)。 チューリップの球根だって、納屋の中で半年も寝かされていたから、もしかして乾燥し切っちゃっているやもしれない。 それをただ、漫然と土に植えていっただけ。 ← 月曜日、またまた、虹を見た。車中だったので、結構、色鮮やかだった虹を根元のほうから撮るってことはできなかった。 ムスカリも、ちゃんとした方法など分からないまま、闇雲に土に植えていく。 浅く植えると、カラスか何かの鳥たちに啄ばまれそう。 かといって深く植えたら、球根からせっかく眼が出ても、いや、出ようと思っても、土の表面に顔を出す前に挫折して、土の中でいじけてしまいそう。 植える方法も深さも何も分からない素人の遣り口なのである。 植物の植え方・育て方って、ムスカリー! 上手く育ったたとして、チューリップの開花は来年の四月末か五月初め。 ムスカリも花咲くのは春。 楽しみなような、あんなやんちゃな植え方じゃ、育つものも育つわけないよなという弱気な気持ちとが交錯している。 やっぱり、雑草の逞しさに負けるだろうか。 何もしなくたって、生えてくる雑草たち。 まあ、雑草の列を作って、その列に沿って雑草を刈り取った(毟り取った)筋を作り、これって野草です。野草園なんです!って言い張る手もあるかもしれない。 自然を愛するって、雑草を含め、植物を大切にしなきゃ、なんて理屈を押し通す… ? ! 雑草でも、乱雑に地面のあちこちに生い茂ったら邪魔だし、見栄えも悪いかもしれないけど、雑草と土(だけ)の地面とを綺麗に筋道立てたら、案外と素敵な野草園になる…かもしれない。 下手すると、変にお花屋さんで買ってきた名のある花(の種や球根)を植えるより、余程、出来がいいかもしれないではないか。 まあ、何も分からない素人なもので、弱気なのである。 今年は畑や庭仕事の一年生。 何もかもが手探りなのだ。 → お花屋さんで買ったムスカリの球根の入った網にホッチキスで添付されていた商品画像。小生は本文でムスカリの球根の植え方が分からないと書いている。実は、この表紙を携帯で撮影した際に、ふと、裏返してみたら、なんと「ムスカリーの作り方」がちゃんと書いてあった。今頃、気づく小生の頓馬なこと! まあ、気を取り直して、久しぶりに「ムスカリの花」でも読んでみるかな。 …そういえば、そろそろ雪吊り(雪囲い)の作業に取り掛からないといけない。 これも方法がまるで分かっていない。そもそも縄の架け方や結び方も知らない。 こうなったら、雪の積もるに任せ、松や杉や夾竹桃や棕櫚や梅や柿やミカンなどの木々に雪が積もったら、そのたびに竹ざおで雪落とし(下ろし)するか。 人海戦術(というより無手勝流と言うべき?)が小生にはお似合いなのかもしれない。 きっと、今年も積雪は1メートルを超すってことはないだろう。 だったら、ガキの頃のように、人力で、つまりは我が手と体で雪と戦っても、体力的に根気的に完敗するようなこともないだろう…多分、きっと! 参考(にならない)拙稿: 「ムスカリの花」
作者: やいっち
更新日:2008年11月27日 17時42分
「尾崎真吾のホッとワールド」アップ & 図書館でのトラブル
「尾崎真吾のホッとワールド」をアップしました。 尾崎真吾という名のイラストレーターをご存知だろうか。 小生はつい最近、ひょんなことで知った。 彼の繊細な筆致の醸し出す、やわらかであたたかな世界で和むのもいいかも。 「図書館でトラブル!」 つい先日、図書館へ行き、期限の来たCDを3種、返却。 この図書館ではAV関係は、一度に借りることのできる数が3種に制限されている(期限は一週間)。 当然、期限が来たものを纏めて返却し、次に借りるのを物色し、迷った挙句、3種類のCDを持ってカウンターへ。 すると、異なことを言われた。 一つ(一種類)が未だ、返却されていません、だって?! 小生、えええ?? である。 ありえない! 小生、一瞬、頭の中が真っ白、パニックに。 指定されたバッグに3種を詰め込んでカウンターに置き、係員にチェックしてもらう。 数字に弱い小生だが、3つくらいまでならなんとか数えられる。 仕方ないので、ええー、そうなのかなーと思いつつも、気の弱い小生、一旦は帰宅して、小生の勘違いもありえるかと自宅の机の所定の位置を確認。 ない。というか、あるはずがない。 ちゃんと纏めて返したんだもの、あるはずがないのだ。 即、図書館へ電話。 確かめてって。 折り返し電話を呉れるって当該の窓口の方が請合ってくれた。 でも、とうとう電話が来ず。 思えば、本やCD類を返却しても、その後のことは見ていない。 返却されたCD類を読み取り機でバーコードか何かを認識し、返却を確認する。 その際、どれかのCD(本)がチェックで漏れて(つまり、どれかのCDのバーコードを読みとること自体をミスして)も、係員は、まだ返却されていないって思うだけだろうし、当方としては、別にコンピューターの画面を見てるわけでも、そもそも返却のためカウンターの上に品物を置き、係員が手にするまでくらいは見ても、逐一、全部の品物のバーコードを漏れなく読み取ってくれているかまでは見ていない。 (書籍類は、カウンターの上に、係員に「ありがとう」と言って置くだけで返却は終わり。CD類は、ケースの中味を含めチェックする。なので、CD類に関しては、カウンターの係員が傷や不備も含め、チェックし終わるまで、カウンターの前か周辺で所在無く待つことになる。) カウンターの上のカレンダーを見たり、新刊本のコーナーを見遣ったり、窓の外の天気を窺ったり(当日は、朝は晴れていたけど、曇っていて、予報では次第に雨になるだろうとのことだったので気がかりだった)、まあ、係員のOKが出るまで、ぼんやり待っているわけである。 ただ、繰返すが、係員のチェックが遺漏なく行われているかなんてことを当方がチェックするはずもない。まして、コンピューターの画面を覗き込んで、手続きがきちんとなされているかなんて、確認するはずもない。 返却したのに、バーコードも読まない(認識するステップをミスした)CD類は、どうなるのだろう。 そのまま棚に収納する? でも、コンピューター管理上は、返却されていないままになる? …結果的に小生が返却しない実績を持つ、そんなブラックリストに載ってしまう? ああ、その日も、CDを3種、借り出したかった。 一つはモーツァルトのヴァイオリンソナタ集、森昌子ベスト、カントリー&ウエスタン集の三つを選んでカウンターに行ったんだけど、(未だ二種類しか返却していない、一種類は未返却ですって言われて)、このうちの一つは、すごすご、その場で戻すことに。 ガッカリ。 さて、小生は、「モーツァルトのヴァイオリンソナタ集、森昌子ベスト、カントリー&ウエスタン集の三つ」のうち、どれを悲しくも、今回は借り出しを諦めたでしょう? って、そんな問いをする場合じゃないね!
作者: やいっち
更新日:2008年11月26日 1時55分
「2009年リベルダージ New Year Party のお知らせ!」アップ
「2009年リベルダージ New Year Party のお知らせ!」をアップしました。 → 05年の新年会の一場面。仮装(コスプレ?)コンテストも行われる…という噂(未確認情報)。 09年(1月25日(日))の新年会へは…、富山へ帰郷した小生は、ちょっと行けそうにない。 ← 月曜日、病棟から撮った北アルプス方面の眺望。この日は、氷雨が降っていて、眺めを愛でることはできなかった。 04年の新年会からずっと見物に行ったが(04年のときだけ、バテリアの一員として楽器(タンボリン)を叩く真似事で参加したが)、それも昨年から足が遠退いている。 → 寒い! 最早、炬燵やエアコンでは間に合わず、灯油ストーブの登場を願う。今朝、ドラム缶から灯油缶に灯油の移し変え。5缶あれば、今冬は乗り切れる…はず。 せめて、情報だけでもということで、上掲の記事を載せさせてもらった。
作者: やいっち
更新日:2008年11月25日 2時59分
富山の十一月の空
[24日、未明の日記より。画像は、冬(実際にはこれからが本番なのだが)の北陸(富山)の空をテーマにしたものを集めてみた。] 寒い! 小生、高校を卒業して、ずっと外地暮らし。 外地って、富山以外の都道府県ってことだが。 ← 画像は、土曜日、病院の中から撮影した富山の空。 冬になると、雲がもっと分厚くなる。 毎日、低い分厚い雲の下で生活することになる。 東京のような快晴続きの冬とは大違い。 (画像は、「寅彦そして病院の物音のこと」より。) 要するに富山での越冬(← 大袈裟)は、36年ぶりってこと。 (但し、最初の6年は、仙台暮らし。仙台は富山とは比較にならないほど、寒かった! 水道管の破裂は日常茶飯事だったっけ。凍結した道路をノーマルタイヤのバイクで走行して、何度、滑って転倒したことか!) お盆や年末年始には帰省していたけど、11月のこんな時期にこんなに寒いとは知らなかった。 11月の富山は、多分、36年ぶりのはず(急な帰省で短期の滞在はあったかもしれない)。 えええ、富山ってこんなに寒かったの? って、今更ながら、驚いている。 炬燵も先週、金曜日、父の要望もあって早々と使い始めた。 我が家が隙間風がひどいから、世間より寒く感じているのか(家の中でも、吐く息が白い!)、単に富山の冬や気候に慣れていないからなのか。 隙間風が多いのは、小生はともかく、来週中には退院する母には厳しい。病院には毎日、通っているけど、母のベッドの傍の椅子にずっと腰掛けて居たくなる。 何たって、院内は暖かい! お袋、退院して我が家に戻って、風邪を引いたってことにならぬよう、用心しないと。 → これでもまだ雲は薄いほう。画像は、「「売薬版画・紙風船を懐かしむ(後篇)」をアップ」より。) 昨日、日曜日は氷雨。 そのため、予定が完全に狂った。 午前中から午後に掛けては、チューリップの球根を植えて、自転車を駆って期限の来た読了した本などを返却に図書館へ行って、場合によっては知り合いに会って、昼下がりからは、病院へ行って帰りに買物をする。 大体、これくらいは用事をこなすつもりでいたのに、出来たのは、病院へ見舞いに行って、帰りにスーパーへ寄っただけ。 ただ、スーパーはいつもの場所じゃなく、病院の近くの複合的なショッピングセンター内の店舗で、他にも食堂やら化粧品の店などいろいろある。 小生は、自制している(はずの)書店に立ち寄った。 家は今、火の車(なのに寒い ? !)なので、大好きな書店での本の物色も購入も我慢している…。 でも、昨日は我慢が出来ず、ほとんど半年ぶりに書店に立ち寄り。 小さな書店で、好みの本はない。軽めの本がほとんど。 ← 氷雨が日中、止んで、そのあと、虹が掛かった! (画像は、「寅彦そして病院の物音のこと」より。) それでも、本を物色するのは楽しい。 選択の余地の少ない中、文庫本を二冊、選んだ。 サイモン・シンの「フェルマーの最終定理」とカール・セーガンの「百億の星と千億の生命」。 前者は単行本で出た当時、既に読んだはずだが、数学者のドキュメント物はジャンルとして大好物なので、寒さに萎縮している小生の脳味噌を少しでも活性化してほしくて選んだ。 セーガンの本は好き。有能な科学者でありサイエンスライターでもあったが、惜しくも亡くなられた。 心を宇宙に遊ばせてみたくて選んだ。 雨が降っていなければ、新規の本を買わずに済み、図書館で何か他の本を借りられたのだが。 → 北陸の空ならぬ我が家の空…廊下の庇裏である。古い布団綿で目貼り。(画像は、「富山を描いた絵画の数々(3)」より。) 寒い! 未だ、11月なのに! 富山の寒さに慣れたら、少しは平気になるんだろうか。 話によると、十一月に一度は寒波が襲来するが、それを超えると、しばらくは寒気が緩むらしいのだが…。 家の中が寒く(吐く息が白い!)、就寝前のささやかな楽しみの、寝床での読書も、寒くて布団から手を出せず、本を持つ気になれない。 せっかく買ってきた本なのだが…。横目で眺めつつ、読んでいるつもりになって、何か音楽を聴きながら就寝と相成りそうだ! 画像…みんなに寒さのお裾分けだ! それにしても、やいっちは越冬できるのか?! [関連拙稿]: 「目貼剥ぐ(めばりはぐ)」 「冬座敷に隙間風が吹く」
作者: やいっち
更新日:2008年11月24日 7時56分
「売薬版画・紙風船を懐かしむ(後篇)」をアップ
「売薬版画・紙風船を懐かしむ(後篇)」をアップしました。 → 病棟の廊下から南西の空を撮った。北陸特有の低い雲が、土曜日は少し薄くなっている。雲の切れ間からうっすら日も差しているのが分かる…はず。 土曜日もお見舞い…というか、まあ、行っただけ。 少し、身の回りの世話をし、雑談めいたことをする。 何もせずに一日を過ごす病室での時間は長いと、母が愚痴る。 愚痴る元気があるってことだろうけど。 仕事もあるのでさよならして駐車場へ向かうと、そこでバッタリ、子どもたちを連れて見舞いに来た姪っ子に会った。 普段なら忙しい身。週末なので時間が取れたのだろう。 ← やはり病棟内から北東方面を撮る。快晴なら、雪が積もり始めて白くなった山々が、それこそ純白の巨大な屏風となる威容を愛でることができる。 せっかくなので、母の病室まで案内。 小生が姪っ子家族と会うのも数ヶ月ぶりのような。 母がもたらした縁かもしれない。 腕白な子どもたちで、父母の手に余る子達だったけど、躾がされていて、もう、分別も付いている。 小生が去った後、どんな光景が繰り広げられたのだろう。
作者: やいっち
更新日:2008年11月23日 1時25分






